一人を楽しむブログ

孤独ならぬ御一人様を愉しむ為の備忘録。

夏の匂いの晩御飯

聯日の猛暑。

愈々夏も本番になりつゝある様でございます。

夏は私の最も好きな季節。然してこの季節を存分に味わう事がこの時期を樂しく過ごす秘訣と考えております。

夏の雰囲氣を大切に

かの有名な漫画映画の様に

夏になると必ずと言って良い程、テレビで放送されるあの映画の雰囲氣が多くの日本人の心に響く様に、夏には何か特別な思いがあるのです。

あの雰囲氣を日々の暮らしで感じ乍ら生活出來ると、それは樂しいものだろうと思うのであります。

出來る限りで再現して…

これだけでも夏はとても樂しいのです。

この樂しみがあればこそ、この季節を過ごすのが好きになるのだと思います。

いつかどこかで見た田舎の家をイメーヂして

酷暑の續く日々、氣力も低下して嫌氣の差してくる日常を如何に面白くするか、樂しく思える様にするかがお一人様の腕の見せ所でもあるかと存じます。

私はこの季節にこそ相応しい雰囲氣を以って夏を愉しむ事に致しております。

寝る瞬間迄、私の心は夏模様♪

それは恰も『少年時代』の様に…。

良い雰囲氣には良い匂いがする

幸福な事に日本には四季があり、日本人はその時々で色々な感受性を育んできたものです。

 

季節や天氣の匂いを感じる事が出來る。

季節の音を聴き取る事が出來る。

そんな當り前の様な事が實は日本人が會得した凄い能力である様です。

我々はこの素晴らしい能力を活かさない手は無いのです。

それが日々の暮らしの幸福につながるのでしたら尚の事であります。

 

そこで今回は「夏の匂いのする夕食」を主題に献立を作ってみる事に致しました。

囲炉裏に鐵板

先ずはいつもの様に自作の「囲炉裏」にカセットコンロを設置します。

そこへ去年合羽橋で賈ってきた鋳物の鐵板を置きます。

日本製の南部鐵器です。良い道具を持つと使う度に樂しくなれるものです。

 

蚊やり器のミニブタ君で蚊取り線香を焚いて窓際に風鈴を吊るして準備完了。

あとは肴として冷奴と枝豆とモズクの酢の物、そして少し形が崩れましたが近所で賈ってきたお好み焼きを用意します。

バターを敷いてイカを焼く

ジュージューと威勢の良い音がします。

こう云う物は自分で焼くから旨いのです。

麥酒が進む!

イカは唐辛子をまぶしたマヨネイズで戴きます。

夏の夕暮れ。この時期ならではの酒の樂しみです。

眞打登場

そして、お待ちかねの焼きとうもろこしです。

葉っぱを剥く際に持ち手の部分をうっかり折ってしまったのを氣にしてはいけない!

 

適度に焦げ目が附いたら醤油を上からかけます。すると、あの頃の縁日の匂いがします。

夏の日に嗅いだあの匂いが食欲をそそると共に、どこか懐かしい氣持ちにさせてくれます。

この匂いは蚊取り線香の香りと絶妙に調和し、あの夏の夕暮れ時に薄暗くなりつゝある茜色の景色が深層心理より鮮明に蘇ってくる様です。

 

日本の夏の匂いなのです。

この香りを嗅ぎながらの食事は本當に樂しいものです。

…ついでに余った箇所でニンニクを焼いて食べております。夏はスタミナを附けなくてはなりません。

良く冷やした日本酒を一杯…

あとは焼きナスでも出せば言う事無しだったのですが運悪くナスが無かった為、今回は見送ります。しかし、次にやる樂しみが出來ました。

以前旅行した新潟県某所の酒蔵で戴いてきたお猪口で酒を呑むと當時の旅情を思い出させてくれます。

暮らしの一時を愉しむ

今回は食事でありましたが、季節に應じてその雰囲氣を出來る限り愉しもうとすると毎日が面白くなります。

 

簡單なもので結構なのです。

最初は一寸空いた時間に蚊取り線香を焚いてバルコニーに出るだけでも夏はすぐそこに感じられます。蚊やり豚や風鈴など有ると尚結構です。

風鈴の音、蚊取り線香の香り、そして蝉の無く声…。

 

こうなると次に冷たい物が欲しくなってきます。

心太やスイカなど有ると最高ですが、ゼリーやジュース、アイスでも結構でしょう。

正しい夏の過ごし方

そうして徐々に樂しみを拡げていくと出來る事も増えて、いつの間にか心がウキウキするものです。

今回の私の食事も最初は野球中継を観乍らの罐詰と冷酒の晩酌から始まりました。

風鈴が加わり、蚊やり豚君が加わり、遂には囲炉裏で鐵板焼きなど始める様になったのです。

ささやか乍ら先日は七夕も…

こうしている間にも次は何をしようか樂しみで仕方がありません。

夏は私の最も好きな季節。

激烈な氣候と健康管理に注意せねばなりませんが、この時期ならではの樂しみを忘れない様にしたいものだと思っております。

御仕舞に…

トトロに出てくる昭和30~40年代をイメージして

暑中お見舞い申し上げます。

暑さ厳しき折どうぞご自愛ください。

いつもありがとうございます。

おかげ様で4周年

謹んで御礼申し上げます。

今日7月3日は、このブログを開始してから最初の記事を書いた日でありました。

こう云うのは不慣れでアカウントを作るだけで2時間も費やしてしまったあの日から今日で4年。早いものです…。

 

樂しい事をしていると時間の流れが早く感じるのと同じかもしれませんが、氣樂なお一人様を日々愉しんでおりますと、それも尚の事かもしれません。

皆様に感謝

氣附けば讀者様の数も増え、記事に戴ける☆の数も少しずつではありますが多くなって參りました。

時に戴くコメントもとても励みになり、今や私の寶物であります。

取るに足らぬひっそりとやっていたブログでございましたが閲覧数も逓増しており、誠に以ってありがたい事でございます。

こうした充實した時を過ごせる事は本當に嬉しい事であり、これもひとえに皆様のおかげと思っている次第でございます。

日頃ご覧になってくださる方に感謝申し上げ、時に☆やコメントをくださる方に篤く御礼申し上げます。

本當にありがとうございます。

 

一人日々を暮らし、そこで發見した面白き事、氣附き、或いは興味深き事を忘れない様に綴って參ります、文字通りの備忘録でございます。

この瞬間の感謝を、次の瞬間の樂しみを忘れない様によく記しておきたき所存にございます。

嬉しい事、幸せな事を忘れない様に…。

人は「独り」ではいけませんが、「一人」の時は誰にでもあるのです。

そして一人でやらなければならない事があるのもまた事實です。

自分の事を自分で完結出來る、そういうものに、わたしはなりたい。

7月3日、今日蝉が鳴いた

夏です。和室です。

今年も例によって自室を和室の様に模様替え致しました。

1Kのマンションにお住まいでも夏はやっぱり和室で過ごしたいお年頃なのです。

そんな今日と云う日は私が今年最初の蝉の声を観測した日でもありました。

例年にも増して急激に厚くなって參りまして、蝉もとうとう鳴き出したのでした。

 

去年は7月13日に鳴いた蝉が10日も早くに鳴き出したこの夏の日を、この先訪れるであろう更なる酷暑の日々を憂いて記念すると共に、4年目を迎える節目を過ごしていたのでありました。

 

重ねて申し上げますが、皆様に於かれましてはいつも大変にお世話になり、誠にありがとうございます。

どうぞ今後とも何卆よろしくお願い申し上げます。

 

おお、今年は遂に7月3日に記事を書けたね!
えらいえらい!敬ってあげよう!!

それはどうも…。

(つ・ω・)つ う~やう~や
⊂(・ω・⊂)  ま~うま~う

……………。
何それ…?

うや舞いと云う舞いを踊っているのです♪

……………………。

しょうがないなぁ。偉いから誉めてあげよう!

こんなぶろぐにまじになっちゃって………とても嬉しく思います!

 

<記事本文 文字数1,111字!>

先を讀む事

將棋の博物館を訪ねる

2ヶ月前の丁度今頃、私は將棋の町として有名な山形縣某所を訪ねておりました。

1年の内に何回かこうして一人旅を樂しんでいる身の上でございますが、今回の旅もなかなか樂しいものでございました。

 

將棋とは古くからのお附き合いで小學校の時から友達と愉しんでいたものでございました。

高校時代は休み時間に將棋盤を囲んでみんなで盛り上がったものでした。

ルールさえ知っていれば誰でも樂しめるものですから、普段あまり喋らない人とでも一緒になって遊ぶ事が出來るのが素晴らしいところです。

宿も素晴らしき温泉旅館

旅日記|くつろぎぶた|note

旅の詳しくはこちらのブログにまとめてありますが、この將棋と云うのは先を讀んで戰略を立てるのが肝となって參ります。

「こう來たらこう出る。そしてこうなってくる…」と云った具合に相手の手の先の先迄讀んで一手を指していくのです。

 

聞くところに依ると嘗て野球のヤクルトスワローズでは野村監督が選手達に將棋を奨めていたそうでございまして、この「先を讀む」と云う事は色々な分野で應用の利く有効な思考法なのかもしれません。

日常生活の先讀み

氣儘なお一人様を愉しんでいる身の上でございますが、その毎日を過ごすに當たっては先々を考慮して生活するのが吉と出ている様でございます。

 

身近な例を挙げると、近所のスーパーの安賣りの日を把握しておけば賈い物も効率良く出來ますし、日々の献立も考え易くなります。

天氣も豫報をよく確認しておけば洗濯機を廻す日の目途を立てると共に風呂の残り湯を利用出來ますので、これもよくやっております。

 

當り前と言えばその通りなのでございますが、時には所謂「危險豫知」にも繋がって參ります。

事故防止に

一人暮らしと云うのは結構事故が起こるものでございます。

生活の全てを自分一人でやっていくので、日々の行いは自ずと全て自分側に返ってきます。

殊にお部屋のDIYなんかを愉しんでいると、その造作を造った後の事も考えておかないと危ない場合があります。

まして私は結構いい加減な部分が非常に多いので、その危險度も一際です。

 

そこで思い出されるのが「先を讀む」と云う事です。

「これをやったらこうなる」と云うのを常に考えておかないと何かと面倒が起きるものです。

そうして考えて生活する事も一人暮らしの樂しみの一つではなかろうかと存じます。

 

イマドキの人はこの思考がどうも出來ない人が散見される様であります。

…例えば寿司屋で馬鹿みたいな騒ぎを起こして途方も無い額の損害賠償を請求される人とか………。

 

生活に活きる現場の知恵

昔、職場で朝礼の際に「指差し呼称」なるものをやっておりましたが、これが意外にも有効な様でございます。

尤も、前に勤めていた會社は本來の意圖ではなく單なるお偉方が作ったスローガンを大声で叫ぶ事に終始していたので實にくだらないひと時でありましたが、ちゃんとやれば實生活の上でも大いに役立つものでございます。

よく製造業や工事現場で行われている危險豫知ですが、日常生活でも活きる6ヶ条がございます。

 

立っているものは、倒れる

吊っているものは、落下する

高い所に有るものは、落ちる

丸いものは、轉がる

動いているものには、挟まれる

回轉しているものには、巻き込まれる

 

ご安全に!

…と言うところであります。

斯くの如く心掛けて先の將棋の件の様に一歩先に起こり得る事を常に考えていたいものです。

 

 

危險豫知やります!

はーい!

立っているものは

座る!

吊っているものは

お魚!

高い所に有るものは

届かない!

丸いものは

かわいい!

動いているものには

労ってあげる!

回轉しているものには

5-56!

………。

何の問題ですか?

今日も安全第一に。

 

珈琲物語。

前回、お部屋の照明を換えた際に動画サイトで観ていた昔の珈琲のコマーシャルですが、これは實に私が20数年來探し続けていたものだったのです。

珈琲物語。

これは私が子供の頃に、かの「日曜洋画劇場」でやっていた『スーパーマン3』の番組が終わった直後に放映していたものなのです。

當時、私は幼稚園生でした。

この映画の入っているスーパーマンのビデオテープをよく観ていたのですが、このコマーシャルは御幼少の頃の私の記憶に不思議な位に鮮明に残っていたのであります。

今となっては僅かな記憶の断片に過ぎませんが、先日になって偶然にもこの動画をインターネットで見附けた際に「これだったのか…!」と暫しの呆然とした沈黙の内にその内容を鑑賞しておりました。

子供の頃の不思議な記憶

私は親しい友人からは「ハードディスク」と異名を持つ位に昔の記憶が鮮明なのです。

反面、最近の記憶に關しては實に曖昧で、ついさっき起きた出來事を忘れる位にいい加減なのですが、みんなが忘れた過去の出來事を未だに憶えているものでございまして、同窓會のブラックボックスとまで言われております。

 

そんな私にほんの僅かに残った記憶のうちの一つがこのコマーシャルでした。

もう随分前にそのビデオテープは壊れて失われてしまったのでありますが、どうにかしてもう一度観たいと思い續けておりました。

而してこのコマーシャルを幼稚園の時に数度観た限りなのに今になって出だしの音樂を聴いた瞬間にあの頃の記憶が所謂「フラッシュバック」をするのであります。

ほんの僅かな記憶の筈なのに、それが不思議と心の奥底で光り續けている様に思えてなりません。

 

これは誠に以って不思議なものでございまして、實に30年以上の時が流れている筈なのに、最後に観たのがつい昨日の様な錯覺に陥るのであります。

このコマーシャルと動画サイト内で再開した時は今までの幾十年間がいっぺんに吹き飛んだ、そんな感じさえ致します。

コマーシャルの内容

しかし乍ら、これが何のコマーシャルであったか迄は憶えていないのであります。

ただ、異國の何か不思議な景色を見て廻っていた事だけを記憶しており、それが番組なのかコマーシャルなのかは全く解っていなかったのであります。

 

今になって全てを観終えてこれが「ネッスルのコマーシャル」であった事を知った次第なのであります。

しかし、小さかった私にとってこれはまるで自分の未だ知らない世界中を駆け巡る不思議な軆驗だったのです。

 

その内容と云いますと次の通りです。

 

まず、遠大な雰囲氣の音樂と共にエチオピアの高山の様子が映し出されます。

珈琲はこのエチオピア・カッファ地方で生まれ、初めてその豆をローストしたのは山火事だったと云う傳説を傳えます。

 

その後、珈琲はアラブ世界に傳わり、1554年のコンスタンティノープル(トルコのイスタンブール)に世界で初めてコーヒーハウスが開かれたと言います。

 

それからヴェニスの商人を通じて珈琲はヨーロッパへ。

心を開く、そんな香りの中でルネサンスは花開きます。

そして17世紀、オランダ商人の手で珈琲は遂に世界の海を渡ります。

 

やって來ました日本でございます。

時は元禄。日本の珈琲元年。

初めてその味を愉しんだのは長崎奉行か或いは蘭學者だろうか…。

 

目まぐるしく世界中を駆け巡り、それは恰も珈琲の旅を自分も一緒に辿っている様でございます。

そしてコマーシャルはこう締めくゝります。

人から人へ、私達の熱い珈琲は遥かな土地から、遥かな時代からやって來た…。

…と。

 

2分程あるこの動画は紛れもなくネスカフェのコマーシャルなのです。

今でも動画サイトで「ネスカフェ 珈琲物語」と檢索すれば出てくるかと存じますが、現在の感覺では一つの番組の様にすら思えます。

 

こんな壮大なコマーシャルは現在では到底作る事が出來ないでしょう。

最早今日、低俗で低レベルなくだらない雑音と化しているコマーシャル。

昔は斯くも偉大だったのだと改めて思うのであります。

そしてその時代を僅か乍らに生きる事が出來た事はとても幸せな事だと思うのです。

嗚呼、社會は斯くも貧しくなりにけり。知性と知的好奇心は余りにも弱々しく、そして後に残るのは碌でもないものばかり。そしてその作り手もまた然り…。

1杯の珈琲に浪漫を求めて

この世界中を旅行した氣分にさせてくれるコマーシャル。

私は子供の頃に観たあの記憶をどうしても忘れる事が出來なかったのです。

そして今日、私はそのコマーシャルに流れていた一字一句、一場面それぞれを深くかみしめ、自室でお氣に入りの「カフェタイム」を愉しむのでありました。

その一杯に壮大な旅情を込めて…。

先日、山形縣某所で賈ってきた漆器のカフェトレーはその雰囲氣を大いに盛り上げるのです。

生來の旅好きである私の心に、この珈琲のコマーシャルは強く響き渡ります。

宵の空に金星が輝く頃…

お部屋にベニヤ板と物干し竿で作ったカウンターにはお一人様の樂しい空間が拡がるのです。

今では珍しいカフェロワイヤル

角砂糖にブランデーを注いで火を点けるアレです。

数年前、これがやりたいが為に合羽橋で1本百数十圓のカフェロワイヤル用のスプーンを賈ってきたものでした。

しかし、その投資がこうした日々の何物にも代え難い愉しみに化けるのです。

嗚呼、遥かな時間と空間を旅する不思議な飲み物。

上質を知る人の…

珈琲は今日も美味しいのであります。

照明を変えると…

今週のお題「変わった」

 

 

この程、お部屋の電灯が切れたので新しいのを購入致しました。

天井は羽目板風

この様に私の部屋は元和室であった事が見て判る羽目板風の天井。そして壁面は廻り縁附きの眞壁…。

床面こそフローリングでありますが定期的に茣蓙を出して和室にしてしまっています。

その方が居心地が良いからです。

そこでこの際照明もそれに合う様に致したく、斯くは賈って參りましたる品物がこちら…。

〽明るいナショナル~♪明るいナショナル~♪
(…一寸古いかな……)

圓形蛍光灯も電球色の物を選ぶのでありました。

温かな光に包まれて

これまでの電灯が所謂「螢光灯色」であったのでこれに換装してからは途端にお部屋の印象がガラリと変わりました。

今迄の光が謂わば「シャープ」な感じと申せばこちらは「ほんわかとした」感じなのではなかろうかと存じます。

作業効率の明度から申せば螢光灯色に軍配が上がるかと存じますが、こちらの電球色の温かな色合いの光と云うのは不思議と落ち着くものでございます。

一寸昔を思い起こして…

電球の光は昔を思い起こさせます。

昔の珈琲のコマーシャルを「レトロテレビジョン」で観乍ら午后のカフェタイムと洒落込んでおりました。

豆はケニヤAA。お茶請けは甘食。こう見えても分類上は「和菓子」らしいのです。

曇天に乾杯

折しも外は雨降り。そんな午后のひと時に温かな光は優しく照らされます。

変化を愉しむ

私の部屋の照明器具には残念乍ら調光機能がありません。

従ってこの様に螢光灯そのものを替えるしかないのでありますが、定期的にお部屋の光を変えてみると氣分も一新するものでございます。

氣は心と申しまして、新しい光の下、實に良いリフレッシュになるのであります。

この光がマンネリとしてきた頃には螢光灯色に戻してみると、また日々の暮らしもメリハリがつくのではなかろうかと存じます。

 

 

…灯具のカバーの中には小さな虫の死骸が色々ありますので、是非この機會にお掃除をしましょう………。

お彼岸に

お題「ゆっくり見たい映画」

 

はや春分になりにければ今日はお彼岸の中日であります。

牡丹餅などを食べ乍ら私は或る映画を鑑賞しておりました。

お彼岸です。

暑さ寒さも彼岸までと申します通り、段々に暖かくなって參りまして櫻の花もだいぶ開いてきました。

殊に今日は野球の國際大會に於いて日本代表チームは劇的な勝利を飾り、今宵の酒もまた一段と旨し旨しなかなかであります。

 

さて、そんな今日と云う日に観た映画と云うのがこちらのビデオテープであります。

まだまだ現役のビデオテープ

ずっと昔に實家で録画したものです。

ウチでは未だビデオテープが現役で動いております。

やはり昔の作品はアナログで視聴してこそ味のあるものです。

 

最近はレコードも密かなブームになっている様でございますが、このビデオテープと云う奴はイマドキのDVDとは違い、少々の傷が附いてもビクともしないのが最大の長所であります。

 

確かに画質の面に於いてはデジタル媒軆に後れを取りますが、私はそこまで綺麗な画質を求めておりませんし何が寫っているか判れば結構なのであります。

寧ろ、このアナログならではの「温かみのある画」と云うのは綺麗過ぎるデジタルでは不可能なものだと思っております。

 

こう云うものを観るのは今となっては貴重な軆驗なのかもしれません。

有り難く視聴する事に致しましょう。

昔の映画は「昔のテレビ」で…

1984年公開の東映作品『空海』と云う映画。

わざわざテレビにこうした飾りを附けるのがポイントです。

自作の「レトロテレビジョンフレーム」は今日も大活躍であります。

人間の心とは

さて、この映画に於いて最も印象に残り、且つ勉強になったのは物語終盤の事です。

北大路欣也さんが演じる空海が弟子達に語りかける場面です。

往時の北大路欣也さん

かいつまんで言うと次の通りです。

 

人の心は幾つかの段階があり、第一の心は欲望や本能の赴く儘に働くものだそうです。

人も生き物である以上、様々な欲求があるものであり、それからは避けられない宿命にあると云うのです。

そして、これらを受け入れる事を説いています。欲望もまた仏の心だと言われるのです。

 

色々な欲望は往々にして惡しきものと捉えられておりますが、これらを受け入れて上手に附き合っていく事が人間の道であると、至極當然の事の様でございますが、これがどうしてなかなか巧く出來ないものです。

 

殊に今日ではそうしたものを矢鱈に封じ込める氣風が激しい様でございまして色々なところがおデリケートになり過ぎている嫌いがある様でございます。

 

「ンマー!危ないザマス!知らなくてもいいザマス!教育上よろしくないザ~マス!!」

…とか申して何でも遠ざけようとしているオトナが多い様でございますが、この色々な人間の心、當り前の様に動くこれらと「うまく附き合っていく」と云う事が今日では殊更に難しい様に思えます。

人は生き乍ら仏になる

弘法大師様は語りかけます

更に北大路欣也さん、もとい空海和尚は語りかけてきます。

 

人はやがて色々な教えに出會い、自分が救われたいと思う様になるのです。

これもまた至極當然の事の様です。

今の人々の多くに當てはまるのではなかろうかと存じます。

 

何教であろうと自分が救われたいと思うから信仰したり神様や仏様を拝む様なものです。

 

弘法大師様は續けます。

更に人は自分が救われ、他人をも救いたいと思う様になると言うのです。

そして遂には仏の境地に達すると結んでおられます。

 

これが生き乍ら仏になると云う事なのかと、恰も大發見をしたかの如く氣附かされるものでございました。

 

なるほど、人を救うのが仏様であるならば自分が誰かを救いたいと思い、そうする事が出來る様になれば、それはまさしく即身成仏なのではないでしょうか。

お互いに救い救われんと欲す

どうやらこれが真言密教の神髄なんだそうです。

もしこの事をどんな教えに基づいても結構なので出來る様になれば、きっと住み良い世の中になるのではないでしょうか。

 

我々は今は無理でも、いつかこう出來る様になるべく日々を努力してみるのもまた自分の幸せの為なのではなかろうかと存じます。

はじめは自分のごく近くに居る大切な人の為に、何か自分が出來る事を探してみるのも良いかもしれません。

好きな人が幸せになる事は嬉しい事です。嬉しいのは幸せな事だと思います。

「情けは人の為ならず」と云う言葉がある通り、自分の幸せの為に人の幸せになれる事を目指してみるのも人の道かもしれません。

 

よく、自分をして神だと思い込んでいる(一寸おかしな)人が時々現れますが、そう名乗るからにはこれ位の事をしてみる事です。恐らくは出來ないかもしれませんが…。

名作の余韻に浸って…

この作品は前賣券を真言宗の檀家さん達が全て賈った關係で莫大な収入が約束されていただけに、かなり大掛かりな映画となっております。

多分、こう云う映画は様々なところが安っぽくなった現在ではもう作れないのではないかとも思えます。

 

その映画も最後は弘法大師様が西方浄土に旅立ち、現在(昭和59年當時)の高野山が寫し出されるところで終わりを迎えます。

最後の場面でお遍路さんの中に出演者の方々が混じっているところ(映画の中で輪廻轉生された様にも受け取れます)や、「協力」のクレジットの最後に「天台宗」と書いてあるところがまた味な演出です。

そして、映画を観終えて余韻に浸っていた矢先…

嗚呼、懐かしき…

空海』に續いて凄い番組が入っていました。所謂「ビデオテープあるある」ではないでしょうか。

超豪華な出演者達。水前寺清子さんもお若い事……。

あの頃は色々なところが元氣だった様です。

賈うからには多機能

お題「ささやかな幸せ」

お題「便利家電」

お題「これ買いました」

 

9年前の丁度今頃、私は來たるべき一人暮らしの日々に備えて色々に家電を賈い揃えておりました。

そこで一つ氣を配っていた事がありました。それがこの表題の件であります。

出來る事はより多く

豫算も限られており決して贅澤が出來なかったのですが、その中でもなるべく機能の多い物を選んでおりました。

出來ると云う事はそれだけで暮らしの巾も廣がっていくものだと思います。

 

特に今日では物価の高騰等、色々なところで暮らしに制限のかかりつゝある世の中でありますので、いつどうなるか判らないと言っても過言ではない様に思えます。

色々な事が有るであろう一人暮らし。いざと云う時に出來る事が多いに越した事は無いと思うのです。

 

勿論、それにこだわればその価格も天井知らずになります。

或る程度の妥協は當然の事でありますが「あと一息頑張れば出せる豫算」はここで使うべきだと思っておりました。

この場で豫算を切り詰めるのは易い事でありますが、その時点で新生活の巾は狭められる事を意味するのではなかろうかと存じます。

 

今ここで幾らかの違いでそのお金を残す代わりに今後の生活の可能性を犠牲にするのを良しとするか否かの判断は非常に難しいところでありますが、この節約をせねば新生活に壊滅的な支障をきたすのでなければ、なるべく諦めたくないと云うのが私の考え方でした。

まさにこの一言

諦めなくてよかった生活の樂しみ

多少の出費を余儀なくされた代わりに多くの樂しみを得られたと思えばその分の元は充分に取ったものだと思っております。

冷凍庫はやはり便利です。

例えば簡單な例では冷凍庫の附いた冷蔵庫を賈うと云う点であります。

冷蔵庫だけの物はそれに比べれば格段に安いのでありますが、やはり長い目で見れば冷凍庫があった方が便利ですし、實生活に於いて冷凍食品やアイス、氷等を食べられる点はとても大きいのです。

この「長い目で見る」と云う事がどれほど大事な事か改めてこの文明の利器を見るにつけ思うのであります。

同じくオーブンも…。

電子レンヂもオーブンの附いていない品物の方がずっと安上がりですが、いざこれが使えると樂しいものです。

トーストが出來るのは勿論ですが、時としてこう云う物を作れるのが良いものです。

肉を焼こう!

これは何年か前にオーブンで作った原始肉です。

何かと気儘な一人暮らし。毎日は使わない機能でも時としてこう云う樂しみが出來るのはとても重要です。

思い出の原始肉 - 一人を楽しむブログ (hatenablog.com)

↑この原始肉についての詳しくはこちら

 

魔女の宅急便』を氣取って…。

また、かの有名な漫画映画に出てくる「カボチャとニシンのパイ」なんかも意外と簡單に作れますし、やってみると面白いものです。

こうした樂しみは生活に花を添えますし、これこそが一人暮らしの醍醐味でもあります。

私このパイ嫌いなのよねー。|くつろぎぶた|note

↑このパイについての詳しくはこちら

 

人參とブロコリーも仲良く

また、温野菜の機能等はこうした料理をより簡單に作れる様になりますし熱燗やホットミルクなんかを作る際も便利です。

日々、料理をする身の上としては小さい様で意外と大きな部分なのです。

 

そして私の最もお氣に入りがこれです。

炊飯器

何やらお札が附いているのを氣にしてはいけない。

嬉しい機能

この炊飯器、パンに温泉卵に豆腐迄作れる優れものです。

これらの物が自分で作れると云うのは重寶なものです。

炊飯器でパンを焼く之圖

兎角單調になりがちな一人暮らしでも、時にこうしたメリハリがつくと樂しいものです。

この樂しさを享受出來るか否かが樂しい毎日か否か、強いて言えば日々の幸福の身近な分岐点ではなかろうかと存じます。

尚、このパンは最終的にこうなりました…。

丸いパンは、やはりこうでなくては…

炊飯器の釜の大きさですので、それなりに食べ應えがありました。

こうした遊び心も「出來る」と云うところから始まるのかもしれません。

「賈ヒ占メ」ニモ負ケズ「パンデミック」ニモ負ケズ - 一人を楽しむブログ (hatenablog.com)

↑このお釜で作るパンについての詳しくはこちら

 

温泉卵作り

温泉卵がいつでも簡單に食べられると云うのはありがたいものです。

一度作っておけば数日は冷蔵庫で取っておけます。

温泉旅行に行った際の旅館の朝食を思い浮かべて出してみるとなかなか良いものです。

酒の肴にも…

いつの日かまた卵の價段が安定したらやろうと思います。

 

豆乳とにがりを用意して…

豆腐も最早自作する時代かもしれません。

釦一つで簡單に

材料さえ有ればいつでも作れると云うのが嬉しいところです。

初期費用はかかりますが、自作した方が結果的に出費も抑えられる点も侮れません。

出來上がり

大豆の風味が濃厚な一品が出來ました。

藥味を添えて…

一寸した一品に最適です。

今宵の酒も旨し旨しなかなか…

これは数年前の夏の様子でありますが、機能が有れば炊飯器一つでも料理の可能性はそれ以上に大きくなります。

基本的にお釜に入れておくだけで出來るので樂なものです。

出來るって凄い!

何事も出來てこそ樂しめるものがあるのではなかろうかと存じます。

一時の出費を抑える代わりにこれら樂しみの可能性を犠牲にするのは余りにも勿軆無いと思うのであります。

その時は使うつもりの無い機能でも全くこの先全然お世話にならないとも断言出來ない限りは「長い目で見る」と云う事を思い出してみると良いかもしれません。

 

日々を過ごしていると色々な事に挑戰してみたくなるものです。

それはとても素晴らしい事なのですから、その可能性を大いに開花させるのが「幸せなお一人様」だと思うのです。

 

今日の社會が貧しくなったとの印象を方々で受けますが、こうした事を忘れてしまったのも一因ではないでしょうか。

今の日本人は安ければどんな粗惡品にも飛びつく惡しき習性が目立つ様になりましたが、ほんの少し頑張れば出せる豫算を輕んずべからずと云う事を今一度思い返してみても宜しいのではなかろうかと存じます。

その幾らか多い出費が致命的でない以上、それによって得られるものは意外にも大きいものかもしれないのです。