一人を楽しむブログ

孤独ならぬ御一人様を愉しむ為の備忘録。

お彼岸に

お題「ゆっくり見たい映画」

 

はや春分になりにければ今日はお彼岸の中日であります。

牡丹餅などを食べ乍ら私は或る映画を鑑賞しておりました。

お彼岸です。

暑さ寒さも彼岸までと申します通り、段々に暖かくなって參りまして櫻の花もだいぶ開いてきました。

殊に今日は野球の國際大會に於いて日本代表チームは劇的な勝利を飾り、今宵の酒もまた一段と旨し旨しなかなかであります。

 

さて、そんな今日と云う日に観た映画と云うのがこちらのビデオテープであります。

まだまだ現役のビデオテープ

ずっと昔に實家で録画したものです。

ウチでは未だビデオテープが現役で動いております。

やはり昔の作品はアナログで視聴してこそ味のあるものです。

 

最近はレコードも密かなブームになっている様でございますが、このビデオテープと云う奴はイマドキのDVDとは違い、少々の傷が附いてもビクともしないのが最大の長所であります。

 

確かに画質の面に於いてはデジタル媒軆に後れを取りますが、私はそこまで綺麗な画質を求めておりませんし何が寫っているか判れば結構なのであります。

寧ろ、このアナログならではの「温かみのある画」と云うのは綺麗過ぎるデジタルでは不可能なものだと思っております。

 

こう云うものを観るのは今となっては貴重な軆驗なのかもしれません。

有り難く視聴する事に致しましょう。

昔の映画は「昔のテレビ」で…

1984年公開の東映作品『空海』と云う映画。

わざわざテレビにこうした飾りを附けるのがポイントです。

自作の「レトロテレビジョンフレーム」は今日も大活躍であります。

人間の心とは

さて、この映画に於いて最も印象に残り、且つ勉強になったのは物語終盤の事です。

北大路欣也さんが演じる空海が弟子達に語りかける場面です。

往時の北大路欣也さん

かいつまんで言うと次の通りです。

 

人の心は幾つかの段階があり、第一の心は欲望や本能の赴く儘に働くものだそうです。

人も生き物である以上、様々な欲求があるものであり、それからは避けられない宿命にあると云うのです。

そして、これらを受け入れる事を説いています。欲望もまた仏の心だと言われるのです。

 

色々な欲望は往々にして惡しきものと捉えられておりますが、これらを受け入れて上手に附き合っていく事が人間の道であると、至極當然の事の様でございますが、これがどうしてなかなか巧く出來ないものです。

 

殊に今日ではそうしたものを矢鱈に封じ込める氣風が激しい様でございまして色々なところがおデリケートになり過ぎている嫌いがある様でございます。

 

「ンマー!危ないザマス!知らなくてもいいザマス!教育上よろしくないザ~マス!!」

…とか申して何でも遠ざけようとしているオトナが多い様でございますが、この色々な人間の心、當り前の様に動くこれらと「うまく附き合っていく」と云う事が今日では殊更に難しい様に思えます。

人は生き乍ら仏になる

弘法大師様は語りかけます

更に北大路欣也さん、もとい空海和尚は語りかけてきます。

 

人はやがて色々な教えに出會い、自分が救われたいと思う様になるのです。

これもまた至極當然の事の様です。

今の人々の多くに當てはまるのではなかろうかと存じます。

 

何教であろうと自分が救われたいと思うから信仰したり神様や仏様を拝む様なものです。

 

弘法大師様は續けます。

更に人は自分が救われ、他人をも救いたいと思う様になると言うのです。

そして遂には仏の境地に達すると結んでおられます。

 

これが生き乍ら仏になると云う事なのかと、恰も大發見をしたかの如く氣附かされるものでございました。

 

なるほど、人を救うのが仏様であるならば自分が誰かを救いたいと思い、そうする事が出來る様になれば、それはまさしく即身成仏なのではないでしょうか。

お互いに救い救われんと欲す

どうやらこれが真言密教の神髄なんだそうです。

もしこの事をどんな教えに基づいても結構なので出來る様になれば、きっと住み良い世の中になるのではないでしょうか。

 

我々は今は無理でも、いつかこう出來る様になるべく日々を努力してみるのもまた自分の幸せの為なのではなかろうかと存じます。

はじめは自分のごく近くに居る大切な人の為に、何か自分が出來る事を探してみるのも良いかもしれません。

好きな人が幸せになる事は嬉しい事です。嬉しいのは幸せな事だと思います。

「情けは人の為ならず」と云う言葉がある通り、自分の幸せの為に人の幸せになれる事を目指してみるのも人の道かもしれません。

 

よく、自分をして神だと思い込んでいる(一寸おかしな)人が時々現れますが、そう名乗るからにはこれ位の事をしてみる事です。恐らくは出來ないかもしれませんが…。

名作の余韻に浸って…

この作品は前賣券を真言宗の檀家さん達が全て賈った關係で莫大な収入が約束されていただけに、かなり大掛かりな映画となっております。

多分、こう云う映画は様々なところが安っぽくなった現在ではもう作れないのではないかとも思えます。

 

その映画も最後は弘法大師様が西方浄土に旅立ち、現在(昭和59年當時)の高野山が寫し出されるところで終わりを迎えます。

最後の場面でお遍路さんの中に出演者の方々が混じっているところ(映画の中で輪廻轉生された様にも受け取れます)や、「協力」のクレジットの最後に「天台宗」と書いてあるところがまた味な演出です。

そして、映画を観終えて余韻に浸っていた矢先…

嗚呼、懐かしき…

空海』に續いて凄い番組が入っていました。所謂「ビデオテープあるある」ではないでしょうか。

超豪華な出演者達。水前寺清子さんもお若い事……。

あの頃は色々なところが元氣だった様です。