一人を楽しむブログ

孤独ならぬ御一人様を愉しむ為の備忘録。

閏日

4年に一度の組合せ

ご無沙汰致しております。

正月に不幸があり、それから暫くブログを中断しておりました。

今日と云う日は4年に一度の閏年であるからして2月29日を迎えているのであります。

あと数時間の間ですが、この何でもない1日の特別な時間を過ごして參ります。

 

正月にあった不幸の事はいづれ何かの機會に触れられゝばと思いますが、まずは今日と云う日を愉しんでいきたいと思います。

そして今年最初の記事を書く記念すべき日と致したい所存でございます。

どうぞ本年も宜しくお願い致します。

至って普通の一日も

末日と云う事もあり、少々仕事が忙しかったのですが私の身の周りではこれと言って特に何事も起きない平凡な一日でありました。

 

そんな1日ですが玄關に飾ってある「オリヂナルキャラクター」の日めくりも4年に一度の組合せとなりました。

通常では見られない繪柄な訳でありまして、このカレンダーを作って初めての組合せになりました。

 

些細な事ですがこの「特別な日」と云うのを身近なところで演出すると忙殺される日々も面白味が出てくるものかと存じます。

特別な日にお披露目

とっておきの梅酒

そんな今日と云う日は特別な品物で夕餉を愉しまんと、去年水戸で賈って來たこの超豪華梅酒を戴く事に致しました。

 

まずはこの入れ物が凄いのです。

梅の花の文様が見事な陶器で出來た壺です。

 

そしてその酒のお相手は…

水戸藩ラーメン

これもまた去年水戸で賈って來た「水戸藩ラーメン」

かの水戸黄門こと徳川光圀公が作られたと傳えられている江戸時代のラーメンを再現した物との事です。

 

このラーメンおよび「水戸訪問」の記録についてはまた別の機會で触れられゝばと思いますが、今日は普段なかなかお目にかゝれないこちらのラーメンを戴く事に致します。

特別な日の特別な夕餉

壺の中に柄杓を入れて中の酒をすくうのがなかなかお洒落な注ぎ方です。

ラーメンには史實に基づいて5つの藥味と叉焼、そしてシイタケとナッパを添えます。

更に水戸光圀公も食されていたと云うチーズも食卓に並べておきます。

 

今日食べられているラーメンとはまた違う味わい。

梅酒も自作の物より甘味が強くスッキリとした呑み心地。

斯くは今日と云う日を愉しんでおりました。

自分なりに特別な日を拵える

hitoria-juvey-ucchiyi.hatenablog.com

この様に何かしら理由を附けて一年間に訪れる様々な日を愉しむ事にしておりますと、生活にもメリハリが出てきます。

hitoria-juvey-ucchiyi.hatenablog.com

節目節目を意識していると過ぎ去る時もまた味わい深いものです。

hitoria-juvey-ucchiyi.hatenablog.com

11月26日も「良い風呂の日」

「お風呂に入る」と云う、いつもやっている行動も些細な事でその樂しさは廣がっていきます。

 

今日もそんな感じで4年に一度の2月29日と云う日を過ごしておりました。

この「今日と云う日を過ごした」と實感して味わい乍ら過ごしていると何の変哲も無い平日のひと時も特別な時間が流れている様な、そんな感じが致します。

梅の花も愉しんで

少し前は近所の神社に咲いていた梅の花を通りがかりに愉しんで參りました。

日々を樂しく生きるには「些細な事を愉しむ」と云う事がとっても大切な事だと思います。

花の香りも春の訪れ

殊に水戸は梅で有名な偕楽園がございます。

當地の梅の花を思い乍ら呑む梅酒は格別であります。

また、當地のラーメンも美味しく頂戴致しました。

それも4年に一度の今日と云う日に。

乾杯。今日と云う日に。

 

嗚呼、暮れる…。

今日で仕事納めでありまして今年も愈々暮れていくのであります。

しんしんと…

年末の静かな夜に夜廻りの拍子木の音が先程から響き渡っています。

外は突き刺す様な寒さでありますが、不思議とこの空氣は心地良いものであります。

 

暫しバルコニーに出て夜風に當たっていると、子供の頃は町内會の夜廻りに參加して神社で焚き火に當たり乍ら友達とお汁粉等を食べて樂しんだ事を思い出します。

この拍子木の音は聴いているだけで時の織り成す不思議な感じを覺えます。

嗚呼、懐かしきかなあの頃…。今年も暮れていくのだな……と。

 

そんなひと時を過ごしている今日この頃ですが、今年も遂に暮れていくのであります。

暮れを五感で愉しむ

先日來大掃除を濟ませており、あとは明日におせちの材料を賈うだけとなりましたが、この瞬間は特に何かせずとも「暮れていくのだなぁ」と思って過ごしている事を愉しむべきかと存じます。

 

つい最近迄、師走の慌ただしさに忙殺されておりましたが、考え様によってはこれも1年の行事の様なもの。

そう考えると年越しなど全然實感が湧かなかったところでありますが、この雰囲氣がにわかに今年が終わり新しい年がやってくるのだと云う感覺をもたらしてきます。

それは或る種の風流の如く愉しむものだと思うのです。

赤提灯におでん

そんなひと時をこうしておでんと赤提灯で以って愉しんでおりました。

仕事納めの樂しいひと時です。

この赤提灯の下で呑む熱燗は格別です。

正しい熱燗の作り方

この一手間が酒を旨く致します。

おでんは近所のおでん屋さんで賈ってくるものです。

コンビニの安おでんなどには見向きも致しません。

やはり餅は餅屋。おでんはおでん屋さんなのです。

この雰囲氣がたまらない…。

合羽橋で(ついうっかり)賈ってしまったこの赤提灯は家で呑む際に非常に重寶致します。

昔、驛前に在った焼き鳥屋の屋台で狭い椅子に腰掛けて一杯やった想い出が蘇ってきます。

これからの時代、家で呑むにも雰囲氣が大事なのであります。

 

こうして今日この頃を樂しんでいると、何だかんだで1年が過ぎ、その時間も夢幻の如くあっと言う間の「アッと驚く為五郎」であります。

しかし思い返せば今年も色々な事があったのだと様々な出來事が脳裏を過ります。

それが不思議と懐かしくもあり、充實したひと時でもあります。

やはり今年も樂しかった。

そう思って今年最後にして丁度130回目の記事とさせて戴きます。

餅は餅屋。蜜柑は八百屋。

パック餅ではなく、ちゃんとした手作りの餅を賈っております。蜜柑も勿論本物です。

今年も良いのが手に入りました。餅の見張り番の蟹さんも威勢の良いポーズを取っています。

正月飾り、準備完了

こうしていると、やはり年末年始なのだな…と感じます。

この感覺が大事なのです。

五感で以って年の瀬を感じるとなんだか氣持ちが温かく、そしてどことなく氣分も高揚して參ります。

それは或いは風流を愉しむが如く、そして藝術を愛でるが如くであります。

昨夜は珍しい月も美しく(画像右下の建物の塔屋辺り…)

ベートーヴェンの第九などを聴くところでありますが、何故か「月光」おば…。

嗚呼、隠し部屋の扉が開いてしまう……。

來年のカレンダー、準備完了

巻癖を直す時に端っこが少しヨレてしまったのを氣にしてはいけない。

見て、聴いて、味わって、感じる。

今年も残り少なくなっていく今と云う瞬間を、どうせなら愉しみたいものです。

…ついでに便所の色紙も

折角大掃除で綺麗にした便所なので、色紙もフリーザ様を描いたものから「べん子ちゃん」に変えておきます。

日々の暮らしの小さな変化は意外にも心にメリハリをもたらしてくれます。

1年間の感謝を込めて…

斯くは幸せな時間を過ごさせて戴きましたが、當ブログをご覧になってくださる方がいらっしゃる事、星をくださり或いはコメントを賜る事も、私はとても嬉しくそしてありがたく思っている次第であります。

 

どうぞ皆様、良いお年をお迎えくだされゝばと思います。

本年も1年間お世話になり、誠にありがとうございました。

來年も何卆よろしくお願い申し上げます。

130回目にして今年最後の記事にて失礼致します…。

それはRPGの世界だった。

今日、12月18日と云う日は個人的に忘れ難き1日として記憶しております。

それは今から20数年前、私が小學校の5年生の時です。

 

その年のこの日「年末のプレゼント」に或るゲームソフトを親に賈ってもらいました。

そのゲームソフトとは、かのスーパーファミコンは『RPGツクール2』と云う物です。

實家に眠っていた物

これは實家の押入れに眠っていた件のソフトとそれに對應した周辺機器ですが、このヨレヨレになった箱の草臥れ具合からも過ぎ去った年月を思わずにはいられません。

 

そしてこの「RPGツクール」なるものは今も尚續いている趣味のキッカケにもなったのであります。

當時は何もかもが冒險だった

今はインターネットが發達しており、解らない事や調べたい事を機械に入力するだけで簡單に答を求められる様になりました。

人間は考える必要も無く、機械のボダンを押したり画面を擦るだけです。

それで機械が答えを用意してくれるのです。

 

これを便利と呼ぶか否かは置いておいて、誰でも氣輕にものを知る事が出來る時代になりました。

勿論、私もその恩恵を日常生活に於いて多々受けております。

 

しかし、このゲームソフトを賈ってもらった當時は當然そんなものはありませんでした。

解らない事は自分で考えて調べるしかありませんでした。

しかしそこには自分の求める回答を得るにはどうしたら良いかを考える必要があり、また關聯する知識も備えていなければそれを得る事も難しかった時代です。

時にはそれでも判明しない事も多く、その場合は「出たとこ勝負」と云う事にもよくなりました。

 

殊に私の御幼少の時期のゲームソフトなんかは半ば博打の様なもので、限られた情報、特に友達の評判やパッケージの繪と僅かなゲーム画面の情報だけを頼りに新しいソフトを賈っていたものでした。

勿論、そこで所謂「クソゲー」を掴まされてしまった方は日本中至る処にいらっしゃいます。

知識を得る冒險

さてそこで今はどうかと考えてみますに、そうした事故は零とは言い難くも大巾に減った事と存じます。

人間は事前に機械が出す答えに従っていれば良いのです。

少々の判断を要する場面はあるにしろ、お膳立ては機械任せです。

無論それに否定的になる事はありませんが、世の中のよろづ物事には「限度がある」と云う事を忘れてはならないのだと思います。

 

時には「知る」と云う課題に對して實行不可能な指令の如く、自らの頭脳と軆力の限りを尽くしてこれを行う「プロフェッショナル達の秘密機關の物語」の様に冒險してみるのも面白いのではなかろうかと存じます。

ゲェームの世界の様に

先ずは知りたい事があり、それを解決する事が目的となります。

RPGの世界でも同じです。目的と課題があります。

では、それを遂行するにはどうすれば良いか。

 

村や町の人の話を聞く。

何らかのアイテム等で解決する。

主人公達を強化していく。

 

…等、お馴染みの方法が幾らでもあります。

しかし、ゲームが始まっていきなり物語の核心が語られて主人公がすぐに強くなったかと思えば最後のボスの簡單な倒し方を得て、いきなり最後のボスが出てきたら…。

それは須らくクソゲーではなかろうかと存じます。

 

ゲームの樂しさはその過程を愉しむものだからです。

オープニングからエンディング迄の間に起きる様々な事を愉しむのがゲームの味わいではないでしょうか。

 

知識を得る事も或いはその過程を樂しんでみると思わぬ「經驗價」や「レアアイテム」を得たり、或いは隠し要素を發見出來るかもしれないと言うところであります。

そうして主人公、即ち自分がより強化されるのであればこれは旨いものではなかろうかと存じます。

これを時間の無駄と思うか否かは人それぞれですが、少なくとも無駄の中にも樂しい事は色々あります。

人間らしいところ残ってるじゃん

いざ冒險の旅へ…!

勿論、日常生活ではゲームの様に無尽蔵に時間が有る訳ではありません。

何事も課題を解決するにも全てが「時限イベント」です。

限られた時間内で課題を解決し、尚且つ自分にとって一番収穫を得るには少々工夫しなければなりません。

 

まずは機械に尋ねてみるのも一つの手ですが、そこでこの一言…。

廣く考察を得る

一つの結果を得るにしても、それは色々に答えが有る事と存じます。

この「皆の者」が多ければ多い程、自分の力が試されます。

謂わばボス戰や重要イベントに當たった時の様なもので、安易な回答だけで突き進めば泣きを見る事にもなりかねません。

強力なボスキャラも難解な謎解きも「通行人の情報」や「装備品の拡充」等の周到な準備の下に解決を見るのです。

 

而して自身の求める回答と出會えたとして、次に待ち受けるのはこの一言…。

あぁん⁉…なんで?

情報は參考にするもの、意見は聞くだけのもの、決断は自分でするもの、答えはそこで出すものと昔聞いた事があります。

そして、その過程でこう思うのです。

なんでそうなるの!?

如何にこれを探求出來るかが謂わば主人公の技量、即ち「レベル」に相當するものでしょう。

今やあらゆる人々が好き勝手な事を平氣で言う時代なので、この技術が求められているのかもしれません。

そしてそこでは單なる回答だけでなく、それに附随する知識を得る機會が随所に見られる事でしょう。

知識有っての調べ事

その得た知識が謂わば主人公の持つ「スキル」乃至便利な「アイテム」ではないでしょうか。

そして、それを得る手段の多さが頼りになる「パーティキャラクター」に該当するかと存じます。

 

斯くして自身の入手し得るあらゆるものを使って最後に課題を制するのです。

エンディングの先に見るものは…?

レベルが上がった!〇〇が増えた!〇〇を覚えた!

單に回答を得るだけでは僅かな經驗價しか得られなくとも、そこへ一工夫を致してみると、こう云う文言に出會えるかもしれません。

レベルが上がってこそ愉しめる巾も拡がる事と存じます。

人生こうでなくっちゃ!!

今日と云う日は私が人生で初めて「RPGツクール」と云うものに触れた日であります。

その時に夢中になって遊び、ソフトの操作方法のみならずゲーム作りの基礎やその面白さのノウハウ、果ては表現の仕方や世界観に關する知識迄…。

「ツクール」は思い出と共に色々なものを私にくれました。

 

今や、それが日常生活の何かの約に立てているであろう事を願ってやみません。

20数年前の今日と云う日に感謝です。

すぎかきすらの はっぱふみふみ

人選が古い…

12月も半ばに差し掛かろうとしている今日この頃ですが、地元では遅蒔き乍ら晩秋の紅葉を樂しんで參りました。

今日は午后から仕事が入ったのでありましたが午前中は久々の休日を愉しんでおり、朝は朝風呂に入った後に自轉車に跨って近所を散策していたのでありました。

休日の一寸したひと時

ほんの自轉車で数分の近所を一廻りしてきただけでありましたが、今日は雲一つ無い快晴。暖かな日差しはまるで秋の日の心地好さでありました。

時節はすっかり冬となりにけりと云ったところでありますが、今年は異常な氣象にて未だ秋の名残は根強く残っているのでありました。

近所の櫻の木

葉は散りつゝある状態ですが、今年も見事に色附き、その色は蒼天に映える様であります。

道行く木々に紅葉の美しさ

日本の四季はこうして我々の目を樂しませてくれるのであります。

私はこうした四季の美しさを愉しむ事が出來る事をとても幸せに思っているのであります。

鳥渡寄り道も

これはいつも夜に行っているスポーツジムのイチョウの木でありますが、見上げればまた見事な美しさ。

普段、何でもない時に通りかかる近所の道も見方一つで非日常の幻想的な光景となるのであります。

まるで木のグラデーション

赤、橙、黄、緑と色とりどりの木々の色はまさに自然の藝術。

これと同じものを作れと言われても、それは不可能なのであります。

我々はこうした美しさを日々享受している身の上である事を改めて自覺すべきではなかろうかと存じます。

美しいものを美しいと思える心こそ美しき

自然は神様であると云うのが我が民族の昔からの考え方の一つです。

然るにこの美しさは神様が與えてくださったもの。

謂わば神の恵みであり、自然を通じて神様が我々に示された一種の御利益でもあると思うのであります。

それはとてもありがたいものです。そしてそれを美しく思え、心に安らぎをもたらされる事は本當に素晴らしい事であります。

私はこの近所の散歩で見た光景に、とても幸せを感じているのであります。

氣附く嬉しさ、氣附かぬ勿体無さ

こうしたものに氣附くか否かは人それぞれであるかと存じますが、氣附いたならばとても嬉しい事です。

私はこう云う自然の美しさを見るにつけ、子供の頃によく観た(…今でも夏によく観る)あの有名な映画を思い出すのであります。

 

それは『となりのトトロ』であります。

色々な解釈がある今日かと存じますが、トトロは日本の或る神様が子供でも解りやすい形で顕れたものだと個人的に思うのであります。

然るに私達は「トトロ」そのものを見る事は叶いませんが、それが姿を変えたものをいつでも見る事が出來るのではなかろうかと…。

木々の美しさもまた然り

日本には四季折々の美しさがあります。

本來はそれを感受して心の豊かさを増すべきものでありますが、兎角現代社會は荒廃しております故、なかなかそう云うのも難しくなっている様でございます。

 

しかしこの心の豊かさこそ、幸せな生き方をする上での大きな原資かと存じます。

もしも先の「トトロ」が形を変えてこうして顕れているのであれば、それは主題歌にもある通り「もしも會えたなら、素敵な幸せがあなたに來るわ」なのであります。

まずは見附けましょう

また「トトロ」に於いては次の様な言葉もあります。

「見附からないのは、いないと思っているから」…と。

 

確かに「トトロ」そのものは居ないかもしれません。

あれはあくまでも製作者がデザインしたものに過ぎないからです。

しかし、神様は形を変えるものだと思います。

もしも日常のすぐそばにそれらが在るとしたら、そしてそれを見附ける事が出來るとしたら、それは或いは幸せな事ではなかろうかと存じます。

 

私は神道を信仰しておりますが、何教であれ、神様とは多くが人間の幸福に寄與する存在として扱われています。

然るにこうした自然の美しさは我々を幸せにするものではないでしょうか。

まずはこうした美しさを見附けて「良かった」と思えるところが出發点かと存じます。

あとはその心地よい氣分から心が豊かになっていくものだと思います。

幸せの素

幸せのきっかけに

特別難しい事は無いのです。

ただ近所を散歩して「良いなぁ」と思えるものを見附けるだけで心の安らぎにつながれば、それは幸せだと思うのであります。

今回はたまたまそれが紅葉だったのであります。

何でもない場所の街路樹や公園の木々。そんなものが心の持ち様に依って幸せになり得るのであれば、こんな旨い話はありません。

元手も要らず手間も掛からず、日々幸福を感じる手段は幾らでもあるのだと思います。

大切なのはそれを活かす事であり、困難な状況で身も心も疲弊する事の多い現代社會に於いてはファミコンの『スウィートホーム』の如き「心の力」を使って乗り越えていく事もまた必要なのだと思います。

その心の力を増やす原資、つまりは「幸せの素」とは或いはこうした何でもない日常のすぐ近くにあるのかもしれません。

いつもそこにあった奇跡

紅葉の鮮やかさ

これは今の時期でしか見られないものです。

紅葉に限らず、春の櫻、夏の木々の青さ、秋の紅葉、そして冬の雪景色…。

日本の四季折々の美しさは枚挙に暇が無いのであります。

そして同じ美しさはもう一度と思っても1年を經なければ二度と愉しめないのであります。

それがまた素晴らしいのです。

つまりは、こうした美しさに出會えるのは奇跡と呼んでも過言ではないでしょう。

今からでも心に響く自然の美しさが自宅からそう離れていない場所に普通に在るのですから、それを見附けられたら、それは奇跡なのかもしれません。

おまけに…

純喫茶のモーニングセット

散歩の後は近所の古くから在る喫茶店で一服愉しみます。

今はその数を急速に減らしつゝある昭和の喫茶店で私は「今日この時間を過ごせた事」そして「この場に居る事」をとても嬉しく思うのでありました。

或いは日々の幸福とはこうしたものなのかもしれません。

落ち葉

帰りにふと道端で拾った落ち葉からも…

なんとなく人ノ形に…

ふと思い附いた「イチョウちゃん」と「モミヂ君」でありますが、こうしたほんの些細な所謂「インスピレヰション」もまた樂しい心地の心の豊かさなのかもしれません。

 

嗚呼、良きかな日本の風情。私はこの國に生まれ育って今、とても幸せに思っているのであります。

柿と昆布茶

勿論、季節の美味もありがたく味わい乍ら…。

良い肉の日のタジン鍋

先日の11月29日の事であります。

この日は数字の語呂から「良い肉」の日とされており、私も毎年この日は肉料理を作る事に致しております。

然してこの日は鶏肉のタジン鍋を作りました。

 

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手輕に樂しく

このタジン鍋と云うのは蒸し料理に適した形をしているのであるからしてあの獨特な形状をしているのであります。

囲炉裏でタジン鍋

その形状も面白く、これで料理を作ると樂しいものです。

毎度お馴染み、自作の囲炉裏テーブルにカセット焜炉を設置して準備完了であります。

 

具材は鶏肉を主にし、あとは冷蔵庫に余っていた野菜を適當にブツ切りにして入れただけであります。

ほんの分量外の水を具材に振りかけて蓋を閉じて火にかけるだけであります。

下準備に5分とかゝらないのであり、時間の無い時でも樂しく美味しい料理を作れるのがミリキ的であります。

火にかける直前の状態

具材は鶏肉、人參、玉葱、大根です。

香り附けに密かに育てゝいるローズマリーの葉っぱを添えておきます。

 

尚、この日は副菜としてホウレン草とニンニクのソテーとカニカマサラダを一緒に用意致しました。

「良いニク」の日なのでニンニクも仲間に入れてあげるのです。

あとは少々酒類があれば完璧であります。

この日は鳥渡贅澤にヱビスビールなどを用意致します。

さあ、戴きましょう

ヱビスビールヱビスビール専用グラスに…

恵比寿に在る工場で賈ってきた専用のグラスに注ぎます。

こんもりとグラスからはみ出んばかりのキメ細かな泡が盛り上がり、第1口目が實に樂しみであります。

こう見えても麥酒の注ぎ方に定評があるのです。

…下積みの時代の苦労はこう云う時に活きるものです。

酒肴にチーズなどを添えて……。

 

そうこうしている内に鍋から湯氣が漏れてきます。

そろそろ頃合いの様です。

お待ちかねの瞬間

蓋を開けた途端にローズマリーの香りが飛び出してきます。

肉も野菜も程好く食べ頃の様子。さあ、戴きましょう。

皮も旨い

鳥渡氣取ってナイフで肉を切っていきます。

シンプルイズベスト

まずは何もつけずに煮汁をかけて戴きます。素材の甘味とローズマリーの香りが食欲をそそります。

その後にマヨネーズに胡椒を振って一口…。色々な味附けを愉しみます。

尚、胡椒はミルで挽くのがこだわりです。中身の配合は黒胡椒2:白胡椒1の割合でブレンドしております。

からい うま

先程來、自己主張の強いこの赤い唐辛子ソース。次はこれを使って戴きます。

見るからに辛いのですが、これはこれで良いのであります。

何故か地元にこればっかりを賣っている自動販賣機があるのですが、そこで賈ってきました。

なかなか汎用性の高いソースで1つ持っていると何かと巾廣く使えて便利であります。

食後のデザート

デザートに輪切りにした林檎をば…。

たまにはこう云う切り方で食べてみるのもまた一興。

芯の間際迄食べられます

タジン鍋にして時短鍋

このタジン鍋の作り方は色々有り、調べているとなかなか面白いのでありますが、このシンプルに丸ごと蒸し焼きにする料理は實に便利であります。

具材はあまり問わず、且つ榮養面でも健康的であります。

材料を切って鍋に入れて蒸し焼きにするだけです。冷蔵庫の残り物も一掃出來ます。

たったのこれだけで結構旨い物が出來上がります。

先程も申しました通り、鍋の形も面白いのでこう云う物で料理を作る事自軆が樂しいのであります。

 

見て面白く、食べて美味しい。いやはや實に旨いものであります。

味附けやソース等を工夫すれば味の変化や愉しみ方はまさに無限大であります。

 

日々の食事はお一人様を愉しむ重要な要素であります。

しかし、日々忙殺される事もあれば時に師走の今日この頃、何かと時間をやりくりする事が色々な事を愉しむ秘訣でございます。

然るに手を抜くにしても、安易な外食や総菜に逃げるのではなく、こうして「旨い具合」にやるのが正解かと存じます。

 

友人の結婚式の引き出物で戴いたタジン鍋さん。ありがとうございます。

こう見えても顔が廣いので色々なイベントに參加致しております私、色々珍しい品物を頂戴しては日常生活に役立てております。…附いた肩書が「引き出物マスター」

これはこれで良いのです。

 

尚、今回の献立にご飯があれば尚結構だったのでありますが最近、自身の「どうでもいい肉」が氣になりだしたお年頃なので酒と一緒の摂取は控えております…。

飯が無くても健康第一。これはこれで良いのです。

明日の夜は久々にジムに泳ぎに行こうかしらん…。

樂しいお一人様の合言葉

 

これはこれでいいのだ!

いいんじゃないかな

先日の休みの日に、いそいそと自轉車に跨り、一寸したお出掛けを致しました。

雑司ヶ谷 鬼子母神

向かった先は雑司ヶ谷鬼子母神

丁度木々も色附いており、今年の紅葉を愉しむに至りました。

曇天に映える紅葉かな

この日は低い雲が空を覆っており、どんよりとした天氣でございました。

本來ならば快晴の秋空に映える紅葉をと思っておりましたが、折角お出掛けをしたのであまりつまらない氣持ちにはなりたくないものです。

 

然して、ここで氣持ちの切替と致しましょう。

今眼前にあるものを愉しむ事に意識を集中致しますと「これはこれで良いんじゃないかな」と云う閃きを得る事が出來ます。

ここで大事なのはそうした心の持ち様ではなかろうかと存じます。

「いいぞ」と思える精神的な余裕を

まずは肯定する事から…

なるほど雲一つ無い秋晴れの下の紅葉は、それは見事なものです。

しかし、雲の多い日に観る紅葉もまたそこには無い面白さが有るのではなかろうか。

そう思うと、この忌々しい曇天の一瞬がとても貴重に思えるのでありました。

同じ様な空模様をもう一度愉しみたいと思っても、次にそう云う日が訪れるのはいつになるか解らないのでありますし、紅葉が見頃な時期にもう一度あるか否かも解らないのであります。

 

然るにこの日の紅葉は當初想定していなかったものの「これはこれで良い」と云う結論に至ったのであります。

そうすると、目の前のものがより樂しく見えるものであります。

イチョウの巨木も

一般に「天高く馬肥える秋」とか申しますが、こうして低い空を眺めてみるとイチョウの巨木もその大きさを尚の事實感出來す様でございます。

通行人様と比べてみてもその巨木の感じが傳わって參ります。

このイチョウ並木を通ると恰も自らの小ささを感じるものでございます。

見上げれば高い木の天井のトンネルであります。

全軆を捉えるのも一苦労…

白い空に白い建物を背景にイチョウの巨木を捉えます。

黄色く色附くイチョウの葉も景色に巧く溶け込んでいる様です。

鬼子母神様へ參詣

參道を抜けて鬼子母神様へお參りを致します。

神社仏閣のお社や本堂は直に撮影せずに境内の外から撮るのがそこへ住まう神様仏様への禮儀だと思っております。

遠めに撮ると周りの木々も映えるものです。

紅葉もやゝ鮮やかさに欠ける雰囲氣ではありますが「これはこれで良い」のです。

今年は秋も無きに等しく突然の冬が訪れた様でございまして、某安ステーキ店も眞っ青のいきなりさでございますれば、紅葉も今一つと言った感じではありますが、それもまた一つの年の形。

「今年の紅葉」として愉しみましょう。

 

ここでも人が寫り込んでしまいましたが、參拝客が寫ってこその參詣地だと思って「これはこれで良い」のであります。

この方が木々の大きさもより引き立つと云うものです。

完璧とはいかずとも、なかなかのものだと肯定的になる事は出來ます。

この「なかなかのものだ」と云う肯定の仕方は便利なものです。

大切です いいぞと思える その氣持ち

こだわりは、つぶしが利くのが理想

物事にこだわるのは決して惡い事ではないと思っております。寧ろそれが必要な場合は多いのです。

現に私も色々な事にこだわりを持って生きているつもりであります。

しかし、よろづ物事には限度と云うものがある様に、それも時と場合に依るものだと云う事を理解するのが重要になって參ります。

 

例えば日常のあらゆる事に完璧を求めていると、いざその通りにならなかった時に、どうにもならなくなってしまうのであります。

 

わりとよく些細な事に固執して問題を起こす人物が現れますが、それが典型例であります。

世の中、そう巧く自分の思い通りにならないのはクラッカー菓子の如く、當たり前なのであります。

然るにそう云う時の為に、自分のこだわりは當初想定外の事態に陥ってもつぶしが利く様に心掛けるのがこの「これはこれでいいのだ!」と云う精神に結び附くのではなかろうかと存じます。

鬼子母神様散策

さて、話を鬼子母神様に戻します。

本來、鬼子母神様の鬼の字は一画目が無い「角の無い鬼の字」でありますが、コンピューターの文字列の中にその字が無かったので常用文字の「鬼」を使わせて戴きます。

惡しからずご了承くだされゝばと存じます…。

 

本堂をお參りした後は境内を見て廻ります。

境内のお稲荷様

古來、この地はお稲荷様の森として存在しており、そこに鬼子母神様がやって來た形になりますが、この稲荷堂にも當然お參りして行きます。

大木の幹

鳥居の脇には大木の幹と思われる物が轉がっておりました。

これだけの木に育つのは途方も無い時間がかかるものです。

大公孫樹

ご神木となっている大公孫樹。樹齢700年程、幹廻り約11米、高さ33米の巨木です。

結界となっている御幣から少し離れた位置より憚りを以って撮影致します。

勿論、柏手を打ち、深く禮をするのを忘れずに…。

 

木は紅葉したての様でまだ青さが残っておりましたが、この黄色と緑のグラデーションを愉しめるのはこの時ばかり。

木の上の方から徐々に色附いているその様は恰も天から黄色い葉の紅葉がこのご神木に降りかかるが如き色合いでございます。そう云うものを観られるにつけ「これはこれで良い」のです。

懐かしい駄菓子屋さん

この後、茶店で名物の「おせん団子」を頂戴した後、駄菓子屋さんで二つ三つお菓子を賈って境内を後に致しました。

今と昔が同居する町

さてその帰路、東池袋附近の町並みでありますが、この様に高層マンションの立ち並ぶ一角に昔乍らのお寺が混在しております。

こうした最先端の現代社會と傳統的な歴史ある一角が同じ空間で調和している所が今や日本の美しさの一つと言えるのではなかろうかと存じます。

 

本當は帰り道を間違えて遠廻りになってしまったのですが、こう云う美しい對比の風景に出會えた辺り、やはり「これはこれで良い」のであります。

 

更に帰り道途中で喫茶店に入り、珈琲などを注文。

端っこの小さなテーブルの席しか空いていなかったのでありますが…

窓際の小さな席

廣いテーブル席は埋まってしまっていたのでありますが、窓際で外を眺め乍らの珈琲はまた格別。

端っこと云う事だけあって少々窮屈ではありますが静かに自分の珈琲タイムを愉しめます。

好物のチョコレートケーキが品切れでありましたが代わりにモンブランを注文。

秋なので栗にちなんだ甘味もまた旨し。

そうです。少々希望通りにはなりませんでしたが「これはこれで良い」のです。

 

家路について一息入れゝば、先程迄の曇天が晴れて秋の空に美しい雲が流れていきます。

こうした情景を一枚寫眞に納めて西日の差しかかる空を眺めて、今日「これはこれで良い」と思うのでありました。

空の間の架線がその高さを表わします

嗚呼この日一日が自分の100%でなくとも、それを否定せぬところに樂しいお一人様の素晴らしい一日が在るのであります。

めでたし めでたし

一日の終わりにこう思える事こそが充實した日々を過ごす秘訣かと存じます。

何もかもが自分の思い通りとなる事など、ほゞ有り得ぬ事です。

そうした時に別のものが舞い込んで來ようとも「これはこれで良い」と思える事が豊かな時間の要点かと存じます。

余談

さて氣附けば11月も終わりに差し掛かり、今日は11月29日。

これを称して「良い肉の日」であります。

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例年この様にステーキなどを焼いておりましたが、今年は鳥渡献立を変えて鶏肉のタジン鍋などを作ってみました。

詳細は後日…

豪勢なステーキも良いのですが、これもまた旨し。

即ち「これはこれで良い」のであります。

そう思える心境、大事にしたいものです。

 

オール1の良い日

今日は11月11日。

一年で最も多くの1が附く日にちであります。

然して11を「良い」と讀みますれば、良いが2つ。

折角1年に1度の事ですので今日と云う日を「良い日」と致しましょう。

11月11日に…

自作の日めくりも綺麗どころ揃い

今日はオリヂナルキャラクターの日めくりが丁度全部女性になったのであります。

折しも仕事が入ってしまい休日出勤でありましたが、こうした機會を樂しむのもまた一興であります。

 

この日めくりは月と日に依ってこの様に女性が揃ったりキャラクターの向きが揃ったり、衣装が揃ったりと月に数度は何かが揃う様に出來ておるのです。

この些細な「揃い」を樂しむと出勤する際に玄關に掛けてある日めくりを見るだけで少々の清涼を得られるものであります。

 

今日は1が4つ並ぶのを視認するに當たり、鳥渡だけ氣持ちも樂しげになるものでした。

この鳥渡した事の積み重ねが或いは日々の享楽を得る原資になり得るのではなかろうかと存じます。

1は始まり

今日は自分で勝手に「良い日」と決めたので、何かこう特別な事を致そうと思った次第。

仕事から帰って參りましたるところ、オモムロに衣類ケースを開けて衣替えなど致しました。

11月も半ばに差し掛かろうとしているのに未だに夏服で活動しております。

今年は本當に異常な氣候であります。

しかし思い出したかの様に寒さも増して參りましたので、冬服を出すには丁度良い頃合いではなかろうかと存じます。

 

然して衣替えもこの「良い日」に行うのであるからして1と云う始まりの数の並ぶ日に謂わば「驗担ぎ」の様に行うのでありました。

縁起の良い事を

古來、日本人にはこの様に「驗を担ぐ」と云う文化があります。

信じるか否かは人それぞれでありますが、こう云うのは程々に愉しむと日々が意外と面白くなるものだと思います。

迷信と捨てきってしまうのは簡單ですが鳥渡だけ自分なりに愉しむのもまた面白いものです。

 

私はこう見えても非常に面倒くさがり屋なので或るきっかけが無いとなかなか動かないところがあります。

衣替えも然りであります。

 

「いつやるの?後でしょ!」

…先延ばしは、よくある事です。

 

そうした時に、おあつらえ向きにやって來た11月11日。

普段、後でやっても結果が同じと明らかな事はギリギリまで先延ばしにする惡しき習慣のある私でも何か捨て置けない好機が到來すると、すかさず動き出す習性があります。

このメリハリが或いは自由氣儘なお一人様の生活に於いて大事なのかもしれません。

 

どうせ、いつかやるのですから自分にとって樂しい氣分の時にやるのが私の「ポリシィ」なのであります。

その好機がまさに今日と云う日だったのであります。

ふぃふぃふぃふぃふゅ~~~~~(汗の出る音)

 

 

 

<記事全文1111文字也!!>