昔の人は斯く言えり。
即ち、早起きすると何か良い事があるとの昔からの知恵であります。
こう見えても睡眠を大切にする割には夜型の人間でありまして夜更かし等は日常茶飯事と云ったところであります。
(変な時間に時折☆やコメントを附けているのはその為です)
無論朝はギリギリ迄寝ている人でありまして、お昼休みの仮眠を日々大切にしている次第。それでも夜になると元氣なのであります。

最高の目覺ましアラーム
そんな私は昔乍らの兩脇に金物の附いたジリジリ鳴る目覺まし時計を長年愛用しているのですが、この時期はわざわざ時計を蚊帳の外に出して容易にスイッチを切れない様にしております。
しかし、この時期にはそれすらも苦にならない最高の目覺ましがあります。

夜遅く迄蚊を追い払う為に頑張っていたミニブタ君の傍には愛用のラヂヲ。そして扇子。
これを寝る前に枕元に置いておきます。
そして翌日、窓の外からは降り注ぐ様な蝉の鳴き声が聞こえてきます。早朝の蝉の声は滝の如く流れ込んでくるものです。
その蝉の声で目が覺めると最早日附が変わりし夜更かしの事をも忘れ、朝焼け残る山吹色にも似た空模様を扇子を扇ぎ乍ら暫しぼんやりと眺めては、すかさずこのラヂヲのスイッチを入れます。
すると「道路交通情報センター」からの放送が聞こえてきます。
そして次の瞬間には6時半を告げるアナウンスと共に子供の頃から慣れ親しんだあの音樂が流れてきます。
そうです。ラジオ体操です。
懐かしき思い出は早起きをも樂しく
この時期は「夏の巡回ラジオ体操」と云うのが定番で日本全國の色々な場所から中継されております。
「全国の皆さん、会場の皆さん、そして海外からラジオをお聴きの皆さん、おはようございます!」
…と、相も変わらず元氣な声とその周囲にはこの日の為に集まったであろう當地々域の大勢の人々の声が聞こえてきます。
そして元氣良く「ラジオ体操の歌」が流れ出すのが昔からの夏の朝です。
この昔からの音声が私は好きです。
子供の頃から親しんだラジオ体操には懐かしい思い出が澤山あります。
朝起きて、とりあえず地元町内會の會場に行けば必ず誰かしら友達が居たものです。
朝一に友達に會えるのは良いもので数人が集まれば一應の軆操の後に時折出るお菓子や牛乳と一緒に「朝の會議」が始まり、ともすればその時の結果次第で今日一日の樂しみが決まったものでした。
友達とプールに行ったり、誰かの家に遊びに行ったり、時には自轉車で遠出をしたりとどれもこれもが夏休みの良き思い出として蘇ります。
その時は毎日の様にあった樂しいひと時が今になってとても価値のあるものになろうとは如何でか氣附かんと言うところであります。
面倒がらずにラジオ体操に行った當時の私を誉めてあげたい位です。
樂しかった昔を思い出し、その時と同じ音がまだ身近にあると不思議と目が冴えるものであります。

早朝の勢いその儘に朝食前に自轉車に跨りひとっ走りすれば近所の公園のブランコは子供の頃から変わらずにそこに在り、緑多き園内の蝉の声も愈々賑やかに日の光が段々に明るくなったかと思えば木陰は鮮明に浮き上がり、誰も居なくなった公園に一人佇んでおりました。
嗚呼、懐かしき夏の朝。
この空間と空氣に触れるだけで早起きがとても樂しみになるものです。
75圓の価値とはこれ如何に
江戸時代は相場の変動があり、あくまでも目安ですが3文とは現在の貨幣価値に直すと大凡75圓程であるらしいです。
物価の高騰著しき昨今に於いて75圓と云うのはあまりにも低価格でありますが、逆の言い方をすればたったの75圓でこれだけの価値を味わえると云う事になり、これはまさしく「超特価」と言ったところであります。
出勤前に昔よく通った地元の道を通り抜けてみれば元氣が出てくる様であります。

町は段々に変わっていきますが、子供時代の面影を見つけてはそれだけであの頃の樂しき夏休みを思い出します。
その思い出は時として幾らかの寂しさをもたらす一方、幸せを感じる事も出來ます。
これら懐かしき思い出は約75圓の価値を無限に大きくするものであります。

長年夏に愛用しているポロ襯衣がいつの間にかファミコンの色に似ていると云う理由でこの様に呼ばれておりますが、子供時代の樂しき思い出や懐かしき雰囲氣を忘れずにいると日々の力になっていく様です。
こうしたものは大切にしていくのが現代社會を樂しく生きる秘訣かもしれません。
だから私は夜更かしをしていても鶴田浩二さんの歌の如く「極めて健康!」なのであります。

イマドキの人はラジオ体操第1の後にある「首の運動」や「第2体操」の存在を知らなかったり、ラジオ体操そのものを經驗した事の無い人も居る様です。
しかし私は昔を知っているからその繪も樂しそうな雰囲氣で表現するのです。
…ところで最近、ラジオ体操から流れる號令が随分いい加減になってきたと思うのは私だけでしょうか……?
運動を説明するきちんとした言葉遣いや表現が少なくなり「ハイハイ」とか「グーパーグーパー」とか恰も幼稚園や保育所のお遊戯の如くあるかと思う私は或いは旧世界の生き残りなのかもしれません。







































































