この度、遂に一人暮らしも10周年を迎えました。
そして今日、一人暮らしで初めて朝を迎えた日から10年が經ちました。
私は10年前のあの日の事を未だ忘れた事がありません。
一人暮らし初の食事は「肉じゃが」でした。
そしてその翌日、窓から射す明るい朝日。自分だけの空間で迎えた初めての朝の事を。
あの感動から早10年。長い様で短い年月でした。
夢の様な時間
この手作りの囲炉裏から全てが始まりました。
賃貸マンションの1Kのお部屋を借りて、少々造作を施して自分だけの空間を演出しての暮らしは胸が高まる幸せな時間でした。
10年前の4月22日夕刻。
これが一人暮らしで初めての食事となりました。
「肉じゃがはあらゆる物の基本」
かの『マサルさん』も言われている通り、この料理から自炊の基礎を學んでいきました。
今では當時とは比べ物にならない位に巾廣い料理を作れる様になりました。
この日も、あの時と同じ「肉じゃが」を作りました。献立も當時と同じご飯にサラダです。
當時は1時間位かかって作っていた料理も今ではその半分未満の時間で出來る様になりました。
この様に一人で暮らすと云う事は色々な面に於いて自身の成長につながるものだと思っております。
炊事洗濯、その他諸々の事を自分の獨力でやっていく内に色々な事が解り出來る様になるのです。
そしてその中で澤山の思い出が出來ます。
そのどれもが今思い返してみてもとても樂しく幸せな時間だったのです。
それは自分の為に過ごしてきた時間に他ならないからなのです。
自分の事を自分で完結出來る様に
自分の力だけで生きていく事が出來ると云う事は大切な事だと思っております。
生活の為に必要な事は身に附けておくに越した事は無いのです。
その為には或る程度の時間が必要です。
この貴重な時間が「一人で居る時間」だとすれば、これをを持てた事はとても幸運な事だと思っております。
また逆に一人で過ごすとはこうでなければいけないのだとも思っております。
折角一人で全てを出來得る環境下にあるのですから、そこで何らかの研鑽をしなければ即ち無駄と云うものだとすら思えます。
日々の暮らしを普通に過ごしていくだけでどんどん出來る事は増えていきます。
また、その知識の蓄積も見過ごしてはおけません。
このブログのテーマ「一人を愉しむ」とはこうした實入りがあってこそです。
その中でどんどん拡がる自分だけの自由を満喫出來ればどれほど素晴らしい事でしょう。
一人を蔑まない事
よく一人で居る事を「ボッチ」等と云う表現で惡し様に扱う場面がありますが、それは「一人」と「孤獨」を混同している事による或る種の認識の於ける瑕疵だと思っております。
確かに私は日常の大部分を一人で過ごしておりますが、幸いな事に澤山の友人知人に恵まれている事を知っています。
そしてその存在はとっても大事なものなのです。自分にとっては無くてはならない存在なのです。
即ち、物理的に於いて一人で居る事は何ら蔑まれる事ではないと考えているのであります。
敢えて矛盾する言を以ってすれば「一人を愉しむには澤山の仲間が必要である」と言うところであります。
この掛け替えの無い存在によって「一人」が「孤獨」ではなく「孤高」や「獨立不羈」に成り得るのであります。
何事も相手あっての事であると云う社會の理屈を理解していればこそ、この「一人の時間」と云う愉しみが生まれるものだと思っております。
それは寧ろ一種の「ステイタス」でもある事かと存じます。
これ即ち「集團で巧く過ごすからこそ一人の時間に価値がある」と言うところであります。
かの有名な國民的RPGの文句を引用するとすれば即ち「光があれば闇もまたある」といった表現の如く、その正軆は表裏一軆なのでなかろうかと存じます。
お一人様に乾杯
「人は一人では生きていけない」…と何かとよく言われておりますが「一人で何とかしなければいけない時もある」と云うのが私の持論です。
無論「獨り」では人間と云うものは立ち行かないものです。
しかし「一人」と「獨り」は似て非なるものだと思います。
それさえ理解していれば「一人」で居る時間は何ら惡しきものではありません。
自分は多くの人達とオカカワリになってこそ一人を満喫していると云う事實を今とても幸せに思っているのであります。
プライベート〇〇を考える
よくカネモチが「プライベートオフィス」やら「プライベートビーチ」やら何かと色々と「プライベート」を愉しんでおられますが、それと同じ様な事が愉しめるのです。
即ち、お一人様は自分の周りのものが須らく「プライベート」になるのであります。
それを演出するにはいさゝか要領がいりますが、一寸した工夫の下に自分だけの贅澤な「プライベートスペース」は生まれます。
この晩酌の1枚もそうです。
私だけの「プライベートバー」で一日の終わりに一杯やるのであります。10年目の今日と云う日を祝して…。
これは私の地元の親友が私の為に作ってくれた日本酒です。
そしてこのグラスもこの人が特注で作ってくれた大切な寶物です。この素敵な品物で晩酌の1杯を自由に愉しむ事が出來るのです。
この味わい、この愉しみ、これらがすべて自分のものです。
お氣に入りの音樂を流し、自分だけの空間で傾ける酒はどんな逸品よりも贅澤に思えます。
この「Bar Duck」と云うのも自分の部屋にDIYで作ったバーカウンターに附けた名前です。
今では地元のドラゴンボール好きの常聯さんにとってすっかりお馴染みになっております。
hitoria-juvey-ucchiyi.hatenablog.com
自分だけの時間と空間そして愉しみ
今この場の全てのものが私の為に存在しています。
そこには多大な樂しみがあるのです。
その樂しみを以って日々の暮らしに幸せを求めていき明日を生きる糧に出來ればもっと充實した生き方に繋がっていくのではなかろうかと存じます。
一人暮らしを始めて10年。
これからも、もっと自分なりの愉しみを見出して本當の意味で日々を豊かに過ごせたらと考えております。
一人だけの自由。
この10年間、當たり前の様に過ごしてきた毎日が今とても嬉しく思っているのであります。
お風呂が沸いたのでこれから入ってくる事に致します。
春の残照を愉しむべくお風呂には櫻の風景のフィルムが貼り附けてあります。
(この風景のフィルムがカレンダーのものであったのは有名な話…)
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自分なりの樂しみを追求していきます。
お風呂1つにしても自分の樂しみを心置きなく投入出來るのです。
とても樂しいひと時となるでしょう。
これがまた良いのです。
それは恰も一人旅で温泉に入る様なものでございます。
自分の時間を全力で精一杯生きる。それがお一人様の極意かと存じます。
記念すべき一人暮らし10年目の今日、この後も愉しむ事と致しましょう。