一人を楽しむブログ

孤独ならぬ御一人様を愉しむ為の備忘録。

早起きは三文の得

昔の人は斯く言えり。

即ち、早起きすると何か良い事があるとの昔からの知恵であります。

 

こう見えても睡眠を大切にする割には夜型の人間でありまして夜更かし等は日常茶飯事と云ったところであります。

 

(変な時間に時折☆やコメントを附けているのはその為です)

 

無論朝はギリギリ迄寝ている人でありまして、お昼休みの仮眠を日々大切にしている次第。それでも夜になると元氣なのであります。

無理せず寝ないのが夜型の秘訣

最高の目覺ましアラーム

そんな私は昔乍らの兩脇に金物の附いたジリジリ鳴る目覺まし時計を長年愛用しているのですが、この時期はわざわざ時計を蚊帳の外に出して容易にスイッチを切れない様にしております。

しかし、この時期にはそれすらも苦にならない最高の目覺ましがあります。

夏のラヂヲと言えば…

夜遅く迄蚊を追い払う為に頑張っていたミニブタ君の傍には愛用のラヂヲ。そして扇子。

これを寝る前に枕元に置いておきます。

 

 

そして翌日、窓の外からは降り注ぐ様な蝉の鳴き声が聞こえてきます。早朝の蝉の声は滝の如く流れ込んでくるものです。

その蝉の声で目が覺めると最早日附が変わりし夜更かしの事をも忘れ、朝焼け残る山吹色にも似た空模様を扇子を扇ぎ乍ら暫しぼんやりと眺めては、すかさずこのラヂヲのスイッチを入れます。

すると「道路交通情報センター」からの放送が聞こえてきます。

 

そして次の瞬間には6時半を告げるアナウンスと共に子供の頃から慣れ親しんだあの音樂が流れてきます。

 

そうです。ラジオ体操です。

懐かしき思い出は早起きをも樂しく

この時期は「夏の巡回ラジオ体操」と云うのが定番で日本全國の色々な場所から中継されております。

「全国の皆さん、会場の皆さん、そして海外からラジオをお聴きの皆さん、おはようございます!」

…と、相も変わらず元氣な声とその周囲にはこの日の為に集まったであろう當地々域の大勢の人々の声が聞こえてきます。

 

そして元氣良く「ラジオ体操の歌」が流れ出すのが昔からの夏の朝です。

この昔からの音声が私は好きです。

 

子供の頃から親しんだラジオ体操には懐かしい思い出が澤山あります。

朝起きて、とりあえず地元町内會の會場に行けば必ず誰かしら友達が居たものです。

朝一に友達に會えるのは良いもので数人が集まれば一應の軆操の後に時折出るお菓子や牛乳と一緒に「朝の會議」が始まり、ともすればその時の結果次第で今日一日の樂しみが決まったものでした。

友達とプールに行ったり、誰かの家に遊びに行ったり、時には自轉車で遠出をしたりとどれもこれもが夏休みの良き思い出として蘇ります。

 

その時は毎日の様にあった樂しいひと時が今になってとても価値のあるものになろうとは如何でか氣附かんと言うところであります。

面倒がらずにラジオ体操に行った當時の私を誉めてあげたい位です。

 

樂しかった昔を思い出し、その時と同じ音がまだ身近にあると不思議と目が冴えるものであります。

嘗て會場だった近所の公園

早朝の勢いその儘に朝食前に自轉車に跨りひとっ走りすれば近所の公園のブランコは子供の頃から変わらずにそこに在り、緑多き園内の蝉の声も愈々賑やかに日の光が段々に明るくなったかと思えば木陰は鮮明に浮き上がり、誰も居なくなった公園に一人佇んでおりました。

 

嗚呼、懐かしき夏の朝。

この空間と空氣に触れるだけで早起きがとても樂しみになるものです。

75圓の価値とはこれ如何に

江戸時代は相場の変動があり、あくまでも目安ですが3文とは現在の貨幣価値に直すと大凡75圓程であるらしいです。

物価の高騰著しき昨今に於いて75圓と云うのはあまりにも低価格でありますが、逆の言い方をすればたったの75圓でこれだけの価値を味わえると云う事になり、これはまさしく「超特価」と言ったところであります。

 

出勤前に昔よく通った地元の道を通り抜けてみれば元氣が出てくる様であります。

夏の空、夏の道

町は段々に変わっていきますが、子供時代の面影を見つけてはそれだけであの頃の樂しき夏休みを思い出します。

 

その思い出は時として幾らかの寂しさをもたらす一方、幸せを感じる事も出來ます。

これら懐かしき思い出は約75圓の価値を無限に大きくするものであります。

ファミコンシャツ

長年夏に愛用しているポロ襯衣がいつの間にかファミコンの色に似ていると云う理由でこの様に呼ばれておりますが、子供時代の樂しき思い出や懐かしき雰囲氣を忘れずにいると日々の力になっていく様です。

こうしたものは大切にしていくのが現代社會を樂しく生きる秘訣かもしれません。

 

だから私は夜更かしをしていても鶴田浩二さんの歌の如く「極めて健康!」なのであります。

オリヂナルキャラクター達も往時を偲んで

イマドキの人はラジオ体操第1の後にある「首の運動」や「第2体操」の存在を知らなかったり、ラジオ体操そのものを經驗した事の無い人も居る様です。

しかし私は昔を知っているからその繪も樂しそうな雰囲氣で表現するのです。

 

 

 

…ところで最近、ラジオ体操から流れる號令が随分いい加減になってきたと思うのは私だけでしょうか……?

運動を説明するきちんとした言葉遣いや表現が少なくなり「ハイハイ」とか「グーパーグーパー」とか恰も幼稚園や保育所のお遊戯の如くあるかと思う私は或いは旧世界の生き残りなのかもしれません。

お昼寝

最近は涼しい日が續いており、昨今信じ難い事にクウラ様を全く使わない日もある位です。

私のお部屋にはずっと昔からある平成9年製の扇風機(通称・ファンファン大佐)がクウラ様に成り代わり涼風を送っておられます。

夏はコレ!

狭い1Kのマンションですが可能な限り風情を大切にしております。

お部屋のテーマは「田舎の家」若しくは「昭和の木造アパート」です。

奥にあるテレビもこの通り。

何かと便利なお手製「レトロテレビジョンフレーム」

16インチ迄の液晶画面に装着可能です。我乍ら良い物を作ったと思っております。

ちなみに視聴しているのは懐かしの『加トちゃんケンちゃん』

VHSに録画した数少ない生き残り。少々ノイズが掛かりますがまだまだ充分視聴可能です。

NHKの集金員を苦笑させた地上デジタル放送の映らないテレビ。

これは懐かしいビデオを観る為にあるのです。

涼しい日の午后は…

さて、久しぶりにクウラ様ではない天然の涼風が窓から入ってきます。

窓を開ければ溢れんばかりの蝉の鳴き声と共に、その空氣にはどことなく懐かしい夏の香りがするものです。

 

日頃の猛暑の疲れが出た様でしたので丁度お休みの一日に思い切ってお昼寝をする事に致しました。

それもいつも事務所等で摂っている仮眠ではなく布團を出しての本格的なお昼寝です。

こんな事をするのは久しぶりであります。然して本氣でお昼寝をするのです。

蚊帳を吊って

窓から吹き抜ける風、蝉の声、そして扇風機のカラカラと云う音…。

蚊帳の外では愛用のミニブタ君が蚊取り線香を黙々と焚いております。

 

嗚呼、懐かしきは夏の香り。

折角のお昼寝なので夢見心地で眠りに就きたいものです。

子供の頃に田舎の家で過ごした、あの頃を思い出します。

都心の1Kマンションでも夏の情緒を愉しみたい

世間では丁度お盆休みと呼ばれている頃合いであります。

どこかへお出掛け或いは帰省されている方も多いのではなかろうかと存じます。

 

そんな中で遠き昔に思いを馳せてお部屋の雰囲氣を再現してみると自室に居乍らにしてリフレッシュ出來るものであります。

人の住まう所には、やはり「雰囲氣」が大切なのです。

 

フローリングには茣蓙を敷き、簾等の各種調度品を配していくと工夫次第で懐かしく心の底から落ち着いたあの空間を幾らかでも再現出來るものであります。

蚊帳の外に居た愛用のミニブタ君もファンファン大佐と一緒に、はいチーズ

昨今、冷たく無機質的な物で溢れる日常。

自然環境も愈々過酷になりつゝある中、我々の出來る事はあまりにも極小なるものであります。

然らばこの涼しき日にせめてものさゝやかなる取組で心身の疲れを癒さんと欲すのであります。

或いはそれはイマドキ社會に於いて各人に求められる事かもしれません。

自分の最も居心地の良い空間

これが所謂「住居」に求められる事だと思います。

この狭い洋間の1Kマンションでも、今は懐かしく温かな私にとって最良の空間です。

今や失われつゝある昭和の面影、そして田舎の記憶を呼び覺ましてゆっくりと休む事に致しましょう。

安眠の秘訣は或いはこう云うところに有るのかもしれません。

1日の終わりに相應しい場を

遠雷が聞こえ俄かに雨が降って參りました。

雨音を聴き乍ら眠りに就くのもまた風流です。

愛用の寝間着(国鉄の浴衣)を着て暫し夏の風情に浸ります。

樂しかった子供の頃の懐かしい夢が見られます様に…。

 

 

參考記事

hitoria-juvey-ucchiyi.hatenablog.com

1Kマンションでも出來る蚊帳の吊り方です。

ぱちぱちぱち!

今日と云う日は令和8年8月8日。

丁度8が聯續して3つ並ぶお日にちでございます。

 

去年も同じ様な事を言っておりましたが、こう云う日常の何でもない様なトコロに着目してこだわってみると日々を過ごすのがいさゝか面白くなろうかと存じます。

hitoria-juvey-ucchiyi.hatenablog.com

去年は令和7年7月7日。

丁度七夕であった為より一層特別な感じがしておりましたが今年は如何にせんと思うのですが…。

とりあえず季節の御挨拶をば

「並んだ数字が3つ!」

…と有名な的屋の文句がありますが、とりあえず8と云う訳で「ぱち」と發音する事に致しまして「幸せなら手を叩こう」と云う文言に行き着く様であります。

今日も暑さ厳しき日よりでございましたが、皆様のご健康とご多幸を祈念致しまして夏の御挨拶を申し上げます。

『チャージマン研!』好きかい?

「うん、大好きSA!」「オイラも大好きでゲス!」と言いましょう。

 

何を血迷ったのか、かの迷作『チャージマン研!』のイラストを描いてみたのでした。

 

専門的な事はともかく、劇中で一度も見せなかった浴衣姿であるのが解るDAろう?

この様に夏の情緒をこの作品に求めてしまう「かわいそうなお友達」が大勢いるんDA!

こう云う事にコダワリを惜しまないのが氣樂な御一人様DA!

お許しください!!

温故知新

この『チャージマン研!』と云う作品は昭和49年に放送していたアニメ作品なのですが、放送終了から長い間その存在を忘れられていたかに思われていたところ、約40年を經た平成後期の2000年代後半に突如インターネット上で注目され始め、遂にはその界隈で「最新流行」の軆を為した事で知られております。

 

長い間、誰からも見向きもされなかったものが或る時を境に急に脚光を浴びる形になったのですが、世の中にはまだまだそうした「埋蔵文化財」の様なものが密かに眠っているかもしれません。

 

尚この漫画は非常に作りが粗雑な事に加え、あらゆる方面で「ツッコミ所満載」の内容で今の世に於いて非常に斬新な作品と言えるでしょう。

イマドキの世の中が創造面に於いて停滞しているのかどうかは解りませんが、昔の作品には今には無い「ミリキ的」な部分が多分に在る様に思えてなりません。

演じている役者の皆様も低品質のアニメにも關わらず今には無い味わい深い演技をされておられます。

 

 

そんな訳で私は昔の漫画等に非常に興味のある身の上なのでありますが「當時のチビッコ達がどの様なものに夢中だったか」を知ると或いは現代社會を生きていく上での何かヒントの様なものを得られるかもしれません。

 

尚、私はついこの前迄『黄金バット』にハマっておりました。

『チャージマン研!』から遡る事7年前の昭和42年に放送されていた作品です。

作品の歴史だけを見ると黄金バットは昭和5年の紙芝居生まれで米國のスーパーマンより8年古い「世界最古のスーパーヒーロー」とも呼べる存在です。

彊い!絶對に彊い正義の味方、我らが黄金バット!!

わざわざモニターをモノクロにしてフインキを出して鑑賞するのが良いのです。

 

今や遠くなりにける昭和の時代に思いを馳せ、嘗ての物事を知る事も時には大切かと思います。

拍手の如く

イマドキは何かと色々なものに鬱々としている中、これら作品の主人公の様に單純乍らも明確な芯を持ち、明るく力彊く生きていくところに今日価値があるのではなかろうかと存じます。

 

8の数字が並ぶ今日この頃、「ぱちぱちぱち」と拍手の如く昔のヒーロー達を賞賛してみるのも宜しいかもしれません。

令和8年8月8日を記念して

暑さ厳しき折、どうぞ皆様に於かれましてはご自愛の程お祈り申し上げます。

何だかんだで7年目

節目の御挨拶

 

今日、7月3日は當ブログを開設した日でございます。

毎年この日は特別に思っているところにして覺えておくと時の過ぎ行くを愉しめるものでございます。

1年間と云うのはその日その日を意識していると何かと面白いものでありまして自分なりの記念日を設けて過ごしてみると日々にメリハリと云うものがあるものかと存じます。

hitoria-juvey-ucchiyi.hatenablog.com

さて何だかんだで7年目を迎えました當ブログでございますが、この日にあるものは只々感謝に尽きません。

たった一人、それも随分好き勝手な事を書いて參りましたが今や色々に御星様を頂戴したり時にコメントを賜ったり、それも段々に増えてきた由、誠に嬉しい限りでございます。

取るに足らない小規模なブログでございますが、購讀者様がいらっしゃってくださるのは大変に恐れ多い事でありまた幸せな事であります。

當ブログの記事でお樂しみくださったり時に何かの參考になれゝば幸いに存じます。

 

最近は「ぶた」の方の内容が多くなりましたが、月に1度は當ブログの記事を作成出來ればと考えております。

昨今惡し様に思われている嫌いがありますが「一人を愉しむ」と云う事の大切さや有用性をいさゝかでも備忘録として書き残せたらと考えております。

今後とも何卆宜しくお願い申し上げます。

note.com

こちらも宜しく…。

いつもと変わらぬ幸せ

今日と云う日は當ブログが7年目を迎えた以外はこれと言って特別な事は起こりませんでした。

それもまた幸せなのかもしれません。

日々を平穏無事に過ごす事が出來るのは或いは今日では幸福な事かと存じます。

何度も同じがいいぞ!

そんな幸せの中この日を迎えた事を至極個人的に祝う事に致します。

ブログの7年目を記念して、そして購讀者様をはじめご覧になってくださった全ての方に感謝を。

折しも花の金曜日。乾杯。

馴染みの呑み屋で祝い酒を

いつもお世話になり誠にありがとうございます。

なんか毎年同じ様な内容になってるね。

そうだな…。でも、これで良いのだ。
毎年こうしてブログを續けられた事とご覧になってくださった全ての方に感謝をする。
今日と云う日はその為に在るのかもしれない。
だからこうして感謝する特別な日にしよう。

うん。私達だけの祝日だね!
こうして記事に書ける事はとっても嬉しいね!!
みなさんのおかげです!!!

この感謝を表現する為に

これでいいのだ!

……………。

 

 

おかげ様でなんとか7年目を迎えるに至りました。

ブログ發足當初より御星様の数も増え、記事を讀んでくださる方も多くなりました。

フォローやコメントを賜る事、大変に嬉しく思っております。

本當に感謝に堪えません。

今後とも何卆よろしくお願い致します。

6月の記録・梅雨時の愉しみ

氣附けば6月も終わりを迎えんとしております。

心配されていた台風もなんとか無事に過ぎ去り街は雨上がりの静かな空氣で包まれております。

 

丁度梅雨時であり、雨の日が多くジメジメとした「あまり好まれない日々」が續いております。

洗濯物が乾かない、カビが氣になる等の弊害がありますが、そこは愉しみ方次第で良き日々を送る事が出來るのではなかろうかと思っております。

而してこの6月の梅雨空を自分なりに愉しんだ日々の事を記録して參りたいと存じます。

雨の日だから外へ出てみる

まず、わざわざ雨の日を狙って散歩をしてみる事に致しました。

傍から見れば何を考えているのか不可解な點があるかと存じますが、こんな日はいつもと違った風景に出會えるものです。

雨の日の公園

いつも出歩く近所の公園に來てみました。雨なので誰も居ません。

静まり返った園内に木々に滴る雨音を聞いてみるのも面白いものです。

傘に落ちる雫の音もまた太鼓の樂しげなリズムの如くあり、暫し佇み雨の音を樂しむ、即ち「音樂」を鑑賞してみるのも宜しきものです。

誰も居ない公園をゆっくりと散策しては通行人を氣にせずお寫眞を撮る事が出來ます。

雨に映える紫陽花

紫陽花の花は雨の日に見るとまたその色合いの美しさが映えるものだと思っております。

近所の道端に目をやればこのミリキ的な花の面白さを見る事が出來ます。

雨の匂いを満喫

雨の日は獨特の空氣とその香りを愉しむ事が出來ます。

こうした土と緑のある場所に來てみるとその風味も愈々増す様に思えます。

 

聞くところによると、この雨の匂いを感じる事が出來るのは世界的に見ても特異な事であり日本人の類稀な能力の1つであるかの様であります。

 

それは自然を身近に感じそれを尊重してこそのものだと考えておりますので、いつまでも大切にしたいものです。

またこうした風情に浸れるを思うにつけ、つくづく日本人でよかったと思うところに私の幸せはあります。

紫陽花鑑賞

先程の寫眞にて紫陽花を愉しみましたが、この時期は街中の色々な所でその美しさに出會う事が出來ます。

勿論その名所に行けば更に素晴らしい光景が在る訳でありますが、日常にその美しさを愉しむ事が出來るのもまたこの時期の樂しみではなかろうかと存じます。

道行く途中で

一寸所用を濟ませて來た何でも無い通り道でも少々立ち止まり、その花の面白さを鑑賞してみるのも良いでしょう。

何でも無い日常でこうした面白さに氣附ける事が日々を樂しく暮らす秘訣かと存じます。

雨の日の薄暗さもまた良きものなり

花はよく晴れた明るい日にその色合いを鮮やかにするところでありますが、梅雨空のどんよりとした日にこそ紫陽花は映えるものではないでしょうか。

花の奥の葉に影が出來る頃合いに浮き出て見える花の美しさであります。

曇天に辺りがぼやける日でも意外と面白いものが澤山あるものです。

一寸目を向ければそこに在る可憐さ

普通にこうしたものが在るを誠喜ばしき事と考えればその周りにあらゆる美しさ面白さがあるものかと存じます。

これを活かさない手はございますまい。

色合いの違いも面白く

紫陽花は赤みがかったものから青いもの紫色等様々な色合いがあります。

その違いを観察してみるのも一つの愉しみです。

兎に角、街中の一寸した場所に色々に咲いているので少々注意深く目を向けてみればそこには忘れかけていたこの時期ならではの美しさがある事でしょう。

梅雨の晴れ間に

6月の晴天

雨が續くかと思えば夏の日差しもそろそろ顔を出し始めます。

そんな梅雨の中休みは貴重な1日であるのは言う迄もありません。

こうした日にはその晴天を大いに愉しみましょう。

初夏から本格的な夏へ、公園の木々はすっかり茂ってその木陰もまた心地良いものです。

雨上がれば

特に雨の上がった後の晴れ間は空氣も澄んで恰も山奥の森林にでも來たかの様に思えます。

都會に居乍らにしてこの空氣を味わえるのは或いは貴重な瞬間かもしれません。

葉に残った雨露も陽に照らされてまるで寶石の様な輝きを放っています。

紫陽花も

勿論、紫陽花も晴れた日には違った表情を魅せます。その對比、所謂一つのコントラストも美しく、無論良きものである事は言に及びません。

紫陽花以外も

また、公園の花壇には新しいお花が植えられており、一寸通りがかりに1枚撮っておきました。

どれだけの人がこの花を愉しまれるか解りませんが、こうして良きものが當たり前の様に在るのです。

何でも無い所、万歳!

一寸歩くだけでこれだけのものがあるのです。

梅雨時は何かと鬱々とした雰囲氣になりがちですが、少し顔を上げてみれば美しいものが幾らでもあります。

手間も金も掛からず氣輕にそれらを愉しみ心の滋養と出來ればこんな得な事はありません。

 

然るに、これだけのものを見逃してしまう事の何と勿軆無い事かと思うところであります。

即ち私には「スマホを見乍ら歩く」などと云う技術も余裕も持ち合わせていないのであります。

私は「スマートフォン」は必要な時にだけ使うものであります故、その狭い画面に閉じ込められる事が出來ないのであります。

某ホラーゲームにて洋館の中を徘徊する活性死者(ゾンビ)の如く恰も周囲に意識を持たぬ様に歩行する事など以ての外なのであります。

如何に樂しい「コンテンツ」を無尽蔵に放射されたとしても、後でも出來る事に変わりは無い以上、今そこにしか無い實在の美しさを知ればその小さな画面に意思を奪われる事も無いものと信じて疑いません。

後で出來る樂しみよりも今そこに在る愉しみを

おうちでも愉しむ梅雨時

さて雨の日は家の中で過ごすひと時にもその時節特有の樂しさがあるものでございます。

家の窓から

窓を開ければ雨模様。そんな眺めを見てみるのもまた一興です。

これは自室の洗濯機が置いてあるお部屋の窓ですが、そこを開けてこの静かな緑に包まれた景色が見えるところがこのお部屋のチャームポイント。私が今のお部屋を借りる極め手になった櫻の木です。

梅雨時の晩酌

そんな6月或る日の晩酌。

わざわざ窓を開けての一杯です。

流石に吹き附ける様な荒天時は出來ませんが、シトシトと静かに降る梅雨時の雨は格好の酒肴となりましょう。

窓から聞こえる雨音と共に乾杯。雨の日にしか出來ない愉しみです。

窓際のソファーと小テーブル

この通り窓は全開です。

窓際には年代物のソファーにキャメラの三脚を改造して造った小テーブルがあります。

丁度旅館の和室に有る広縁をイメージしております。

暫しここに座って雨模様を見乍ら過ごすひと時もまた格別です。

お菓子に珈琲タイム、讀書、一寸一服…。愉しみ方は無限大です。

上質な時間

勿論こうしたひと時も。

1日の終わりに雨音を愉しみ乍らグラスを傾けるのもお洒落なものです。

大事に少しずつ呑むウヰスキーも奮發して賈った一寸上等なチョコレートもこの特別な時間を演出する好アイテムです。

 

斯くの如く雨の日を愉しみ、今月最後の週を迎えたのでありました。

静かな街の中で

はや聯休も明けぬれば月曜日の1週間の始まりは新鮮な一方、どことなく軆の重きを感じる今日この頃でありますが、休日を満喫したリフレッシュしたてで本調子ではないのだと自分に言い聞かせて徐々に変速機を上げていかんとするのであります。

 

私は所謂「マニュアル式」です。

ギヤもローから始めます。下手な2速發進はエンストの元です。

自動的にギヤを変えるなんて「ノークラ」の様な器用な眞似は出來ません。

時にクラッチを踏み、動力を遮断してはあくまでも自分のペースでギアチェンジをしておりますれば「發動機」も多少の無理が利きます(その分、消耗も激しいですが…)

 

 

さて、聯休明けに事務所に來てみればデスクの上に早速山積みになった書類をば整理。

ふと窓の外を見れば、ついこの前愉しんだ新緑の景色が見えます。

木々の色は休みの日と同じですが、その見え方は時と場合に依って全然違うものであります。

そこに慌ただしく動く人の群れ。

嗚呼懐かしき聯休中の静かな街並みや。

 

そこで今少し聯休中の静まり返った街を思い出してみましょう。

心休まる聯休の過ごし方

この休みは友人と日帰りで東北地方某所へお出掛けをした以外はいつもの通り静まり返った地元でのんびりと過ごしておりました。

混雑する行樂地を尻目にのびのびと過ごすこのひと時は或いは贅澤ではなかろうかと存じます。

新緑の時期

一寸外に目を向ければ美しい新緑の青々とした木々が涼しげな風を運んできております。

よく晴れた温かな一日。

こんな日は近所を一寸廻ってみるのも良いものです。

普段は何かと騒がしくある場所も、この日は嘘の様に静かです。

恰も別の場所の様にさえ感じる「一寸そこまで」は行樂地では味わえない安らぎを感じる事が出來ます。

お散歩寫眞

街路樹

普段はすぐに通り抜けてしまう道の街路樹も見上げてみるとまた美しいものです。

櫻の時期はとうに過ぎ、花も散りぬる木にはこの時期ならではの美しさがあります。

若葉生い茂るこの眺めもまた見事なものです。

日本の四季の素晴らしさはこう云うところに確かにあるのであります。

誰も居ない近所の公園

散歩を愉しんでおります。

近所の公園に來てみれば誰も居ないその空間を静かな風が木々のさえずりをもたらし小鳥が時折綺麗な歌声を聞かせてくれるのであります。

空の蒼、木々の青

自分の住まいからほんの数分の所にこんなにも緑が在ったのかと、改めて考えると一寸した小旅行の様でもあります。

誰も居ない公園と云うのは中々良きものです。

静かに自分の足並みで心行くまで静かな自然の雰囲氣を愉しむ事が出來ます。

ベンチで一休み

その木陰は涼しげにして暫し憩いのひと時。

一寸腰掛けて辺りの空氣を感じるだけでも良きリフレッシュになります。

大きく深呼吸をすればここが都會の住宅地のど眞ん中である事を忘れる位であります。

手間もかからず元手も要らず

「ゴマを擂る」が如く手輕に愉しめる休日のひと時。

疲れず、出費も無く、静かでのんびり出來るのはこうしたものならではです。

 

ちなみにこの公園は以前、雪が降った際にも同じ様に散歩を愉しんだ同じ場所だったのです。

hitoria-juvey-ucchiyi.hatenablog.com

こうだった場所が…

こうなっているのです

前に寫眞に撮った場所と同じ場所を違う時期に訪れてみるのも面白いものです。

その2つを比較してみると日常に見え隠れする風流に浸る事も出來るでしょう。

こうだった場所が

こうなっているのです

四季の面白さ、風情、そして時の流れの不思議をしみじみと感じる事が出來るのは日本人の特権の様にも思えます。斯くも我が國には素晴らしきものが身近にあるのです。

思い出の場所にも

子供の頃によく遊んだ近所の公園。

今ゆっくりとその場所を訪れてみると懐かしさの中に新鮮な氣持ちがあふれてきます。

あの頃と少しも変わらぬ場所もあれば新しくなっていたり嘗ての面影が無くなってしまった場所も。

しかし、あの頃の思い出は確かに存在しているのであります。

この大きな木もその一つ。

子供の頃、否、そのずっと前から在るであろうその木は今年も見事な葉を茂らせ諸人の憩いの場を恰も見守っているかの様であります。

この木は古くからの大切な友人の様にさえ思える私は、この何でも無い散歩のほんのひと時でさえ良き思い出として過ごす事が出來るのです。

この幸せを大切にする事が所謂「精神衛生的な健康の秘訣」と言えるのではなかろうかと思うのであります。

ふと視點を変えれば

普段は氣にも留めないあまりにも多くのもがとても面白く、美しく、そして価値のあるものである事に氣附かされた一日。惡くないものです。

おまけにこれが全部タダ、ほんの少しの時間で出來るのであります。

これは誠に良くしたものです。

歳時記も忘れずに…

柏餅に淹れたてのお茶

「子供の日」です。「端午の節句」です。

正月にお節を、七草にお粥を、節分に豆を、桃の節句に雛あられを、お彼岸に牡丹餅を愉しんだ私は今年も例によってきちんと柏餅を戴いております。

近所の餅屋さんで賈って來た柏餅はスーパーマーケットでパック詰めしている物よりも上等である事は素人舌の私でも解ります。

抹茶色がチャームポイントなおニューの急須で淹れたお茶も誠旨し旨し。

ちまきもついでに

この日の晩酌のお相手はちまきです。これもまた季節の愉しみ。

菖蒲湯

そして菖蒲湯。お風呂の繪も緑あふれる森のものに替えてあります。

季節に應じて風情を愉しむのにこの繪はとても役に立っております。

hitoria-juvey-ucchiyi.hatenablog.com

折角のお風呂、その所謂「リラクゼーション効果」を高めるにはこうした工夫も有用です。

〽窓を開けましょ♪ルルンル…♪

櫻の時期に愉しんだお風呂の窓からの眺めもこの通り。

今はこの新緑を愉しみ乍ら初夏の風と共に入るお風呂が1日の樂しみでもあります。

お風呂上りは懐かしい一杯

子供の頃によく飲んでいた飲料。今でもある所にはあるのです。

こうした懐かしい思い出もまた日々を樂しむ一助となっております。

身近なところから樂しむひと時の大切さ

斯様な身近になんと素晴らしきものの在るかを覺えておかば「五月病」と呼ばれる症状に對する一つの免疫なるべしと云ったところでしょうか。

さて、明日も頑張りましょう。

私はこれから窓際に置いたソファーに腰掛けて寝しなの一杯を愉しむ事と致しましょう。

乾杯!今日の終わりに…

 

暮らしの中の櫻

今年も櫻が散り、俄かに葉櫻の氣配がして參りました。

少々遅きに逸した様ですが、今年も例の如く櫻を愉しんで參りました。

 

毎年いつも似た様な事をしては似た様な心地に至っているのでありますが、日常の中にこうした櫻の美しさ、ひいては日本の美が身近に存在する事の如何に幸せな事かと思うのであります。

花見の出來る日常

毎年この時期にしか見られない櫻の美しさでありますが、幸福な事に我が國ではそれが當たり前の様に日常の景色に存在しております。

無論それは特別なものでありますが、我々からしてみれば普遍的なものでもあるのです。

然るにその美しさを愉しむ事、そしてその風情を味わう事は特別なものが普遍的に在る稀有なる我が國の幸せとも言えるのではなかろうかと存じます。

 

余程特殊な場所でない限り櫻は見られます。

ほんの少し家の外に出ただけでその美しさに触れる事が出來るのは、或いは世界の羨望を以って然るべきではないでしょうか。

日常的にその美を鑑賞し心豊かに過ごす事が出來るのは我が民族の特権とすら思えてなりません。

 

 

そこでこの春の何でもない日常に當たり前の様に存在していた櫻の美しさを振り返ってみようかと存じます。

或る休日の朝

毎年の様にバルコニーに出てはそこから見える櫻の木を眺めつゝ食事などを愉しんでおります。

尚、これも今年で10回目の節目。感慨深いものであります。

 

椅子とテーブルをバルコニーに出すだけの簡單なお仕事。

それでこの様な愉しみを得られるところが實に良いのです。

この日は近所のパン屋さんで賈って來た品物を戴いているところです。

自分で淹れた珈琲などを飲み乍ら眺める櫻は春うららかな樂しい休日の始まりに相應しきものです。

おやつの時間

午后のひと時。

お茶を淹れて羊羹などを戴いております。やはり櫻に日本茶、そして和菓子なのです。

晴れた春の陽氣に微かな花の香り。

何よりも「静かである」と云う事、とりわけ「外人が居ない」と云う事がどれだけ素晴らしい事かよく解ります。

ヒヨドリのさえずりを聴き乍ら枝から枝へ櫻の花をついばんでいる小鳥を観察しての一服は至高の瞬間です。

時折子供達が樂しそうな声で櫻の花を愉しんでおられますが、長閑な良い日和です。

「花の雪だー!」と言って喜んでいた或る子供の表現は感性に響く實に素晴らしい文言でした。

散歩中のイヌ君ですら上を見上げる程の美しさ。道行く人の何と樂し氣な事、櫻の周りは見ているだけでも幸せな氣分になれます。

 

バルコニーでのひと時に役立つのがこの小テーブル。

キャメラの三脚を改造して造った自作のテーブルはこの日も大活躍。

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↑一昨年の夏に造った物です。

 

一寸一服

櫻を眺め乍らの一服。

愛用の電子煙管は今日も快調です。

晩酌

夕暮れ時。

お風呂を入って良い氣分になったら晩酌の時間です。

夕闇に照らし出される櫻もまた美しく、この風情を日本酒と共に戴けるのは良きものです。

天婦羅に奴、刺身にお浸し。肴を用意して自分だけの時間に乾杯。

自分だけの夜櫻見物

夜も夜でこうして一杯。特別な時の為に取って置いたオールドパーの12年物です。

静かな夜の静かなひと時。チョコレートを肴に街灯に照らされる夜櫻を愉しむ、このバルコニーはまさしく「プライベートエリア」であります。

ふと見れば、そこに日本の美

〽まーどを開けましょ♪ルルンル…♪

これば便所の窓からの眺めですが、そこに満開の櫻があります。

この眺めの用足しのひと時はまさに値千金の絶景なり。シスタンクの上に作った「鹿威し」の上にも造花の櫻をば。

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多寡が便所、されど便所。

日常の一寸したひと時でさえ日本の美はそこに在り續けます。

便所は綺麗に…

くだらないものを全力で作る事も時には大事かと…。

窓際のソファーより

おやつの時間もこうして窓際で戴くとまた贅澤なひと時を愉しめます。

なによりも「お金や時間を掛けなくても毎日の様に出來る」と云うトコロが實に良いのです。

 

こうしてバルコニーから櫻の花を観ていると、つくづくこの物件を選んで良かったと思うのであります。

「櫻が見える」と云うのは今や賃貸物件の一つのセールスポイントかもしれません。

風呂に窓有り

これはお風呂の窓からの眺めですが、櫻を観乍らお風呂に入るのは日本人として至福のひと時。「お風呂に窓有り」は良いものです。

〽日本人だな♪櫻だなぁ~♪

熱海後楽園ホテルの歌(一寸古いかな…)を唄い乍ら温泉の素を入れた湯に浸かっていると窓からはこの通り櫻の花びらが…。風流と熱い湯に浸るは心身共に健康の秘訣なり。

お風呂の繪も、これでバッチリ!

元はカレンダーの繪のフィルムですが、こうして壁に貼るだけで豪華なフインキを演出出來ます。

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↑持っててよかったフィルムの繪

 

防水のウォークマンを装備して『さくらさくら』をはじめとした筝曲を聴き乍らの入浴は格別です。

本當のお花見へ

近所の公園へ

これは地元の友達と夜櫻見物を愉しんだ時の寫眞です。

一寸出掛ければこうして少々の宴を愉しむ事が出來るのが嬉しところ。

他にも幾らかの方々が同じ様に花見を愉しんでおられましたが、ここでは馬鹿の様な騒ぎをする者は一人もおらず静かに平和な時間が過ぎていきます。

この平和な場所は外敵から守っていかなくてはなりません。

大切な事は小規模にて静かに愉しむ事

「周りの迷惑にならない事」と云うのが何よりも大切です。

静かに慎ましく愉しむのがカッコイイのです。

それが出來ない者は「惡者」です。

見上げればそこに春爛漫

誰も何も言わなくとも、みんながその素晴らしさを知っています。

無用に騒ぐ者など一人も居ません。それが良いのです。

特別な時間はあまりにも當たり前の如く

「静かに慎ましく決まりを守って」と云う事を大切に遵守するだけで、いとも簡單にこの特別なひと時を過ごせます。

周りの人もそれをよく御存知です。だからこそ、この平和なひと時の素晴らしさを享受出來るのです。

自宅から歩いて数分の所に特別な場所は當たり前の如く存在しておりました。

散歩

近所にお出掛け

愛車に跨り、近所に出掛ければこの通り。まさしく「櫻の國」です。

日常的にこうした美しさに触れる事が出來るのですから、これを活かさない手は無いのです。

特別な手間も費用も無く、當たり前の様に愉しめる花の美しさは我々にあまりにも多くの恩恵をもたらしてくれます。

満開

一寸出掛けるだけでもの凄く手輕にこの美しさに触れる事が出來るのです。何と素晴らしい事ではありませんか。

何でもない公園ですら

満開の櫻の下、色々な方がその美しさを愛でております。

大切な事は「憚りを持つ」と云う事に尽きます。

誰一人として身勝手な事をしないからこそ櫻の花も美しいのだと思います。

「周りの迷惑にならない事」と云うのは實に素晴らしい事なのです。それが出來るからこそ平和なのであり、ゆっくりと櫻を愉しむ事も出來るのです。

そして感謝へ

氏神様の櫻の木

こう見えても信心深い方で、お朔日には神社へ詣でております。

そこには斯くも見事な櫻の木があります。

恰も神様が私達にくださった御利益の様にさえ思えます。

富士塚へ

「櫻に富士」は日本人の心のふるさとです。

然るに私もお參りに行きます。

この櫻の美しさが「自分達の富」ではなく「神様からの贈り物」だと思う事にしております。身勝手にも「自分の富」にしてしまうにはあまりにも大きすぎるからなのです。

大切な賜り物なのですから大切にしなくてはなりません。自分の勝手にして良い物ではないのです。

つまりは敬意と畏怖を

そう考えると櫻が毎年美しく咲いてくれる事自軆が尊い事なのであり、それに對して敬う氣持ちを忘れてはならないのだと思います。

即ち、この自然の摂理こそ神様の一つの顕れではなかろうかと思うところであります。

だからこそ敬いそして畏れ、大切にしなければならないのだと思います。

八百万の神は確かに存在する

この美しさの中にも神様は宿っておられるのかもしれません。

決して蔑ろにしないからこそ美しさは確かに感じられます。

それは單に櫻の花の物理的な視覺に由るものではなく、我々の心理によって感じ取るものだと思うのであります。

單なる「色合い等の綺麗さ」は誰でも解る事ですが、その奥にあるものを感じ取れるか否かが大切なのかもしれません。

心迄をもして美しく

先程來再三再四に亘って申している通り、櫻の花の色を愛でて心身共に健康たる事が第一なのだと思います。

單なる鑑賞に留まらない、心に良き作用があるものに触れ合う事が櫻の花、つまりはその「風流」を愉しむ事の肝要かと存じます。

ここが諸外國にとっては困難な事である様ですが、幸いな事に我が國では比較的容易にそれを可能ならしめるのであります。

この類稀な精神を大切に育んでいかねばならないのであります。或いはそれこそが神様からの授かりものかもしれません。

 

心のに斯くの如く良き作用が働けば先の「迷惑にならない様にする事」も自然と適う事かと存じます。こうして平和が成り立つのかもしれません。

日本の風情に感謝を

今年も櫻の美しさに触れ、心が豊かになった様である事に感謝を致します。

この花の色が個性的乍らも他から浮き出た自己主張の強い所謂「ビビッドカラー」ではなく日本のあらゆるものに溶け込んで周りに同調する様な色合いだからこそ愉しめる美しさなのではないでしょうか。

「和を以て貴しと為す」と云う日本の精神は今も尚生き續けているのであります。

大切に守って行かなくてはならないものであり、神様にこの平和の續く事を祈願致している次第であります。

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氣附けば櫻の花は終わりを告げようとしております。

しかしこれからは新緑の時期。その美しさが今から樂しみです。

日本の四季の豊かな風情。日本人なら大切にしたいのであります。

ふと見れば新しい季節の足音…。