一人を楽しむブログ

孤独ならぬ御一人様を愉しむ為の備忘録。

何だかんだで7年目

節目の御挨拶

 

今日、7月3日は當ブログを開設した日でございます。

毎年この日は特別に思っているところにして覺えておくと時の過ぎ行くを愉しめるものでございます。

1年間と云うのはその日その日を意識していると何かと面白いものでありまして自分なりの記念日を設けて過ごしてみると日々にメリハリと云うものがあるものかと存じます。

hitoria-juvey-ucchiyi.hatenablog.com

さて何だかんだで7年目を迎えました當ブログでございますが、この日にあるものは只々感謝に尽きません。

たった一人、それも随分好き勝手な事を書いて參りましたが今や色々に御星様を頂戴したり時にコメントを賜ったり、それも段々に増えてきた由、誠に嬉しい限りでございます。

取るに足らない小規模なブログでございますが、購讀者様がいらっしゃってくださるのは大変に恐れ多い事でありまた幸せな事であります。

當ブログの記事でお樂しみくださったり時に何かの參考になれゝば幸いに存じます。

 

最近は「ぶた」の方の内容が多くなりましたが、月に1度は當ブログの記事を作成出來ればと考えております。

昨今惡し様に思われている嫌いがありますが「一人を愉しむ」と云う事の大切さや有用性をいさゝかでも備忘録として書き残せたらと考えております。

今後とも何卆宜しくお願い申し上げます。

note.com

こちらも宜しく…。

いつもと変わらぬ幸せ

今日と云う日は當ブログが7年目を迎えた以外はこれと言って特別な事は起こりませんでした。

それもまた幸せなのかもしれません。

日々を平穏無事に過ごす事が出來るのは或いは今日では幸福な事かと存じます。

何度も同じがいいぞ!

そんな幸せの中この日を迎えた事を至極個人的に祝う事に致します。

ブログの7年目を記念して、そして購讀者様をはじめご覧になってくださった全ての方に感謝を。

折しも花の金曜日。乾杯。

馴染みの呑み屋で祝い酒を

いつもお世話になり誠にありがとうございます。

なんか毎年同じ様な内容になってるね。

そうだな…。でも、これで良いのだ。
毎年こうしてブログを續けられた事とご覧になってくださった全ての方に感謝をする。
今日と云う日はその為に在るのかもしれない。
だからこうして感謝する特別な日にしよう。

うん。私達だけの祝日だね!
こうして記事に書ける事はとっても嬉しいね!!
みなさんのおかげです!!!

この感謝を表現する為に

これでいいのだ!

……………。

 

 

おかげ様でなんとか7年目を迎えるに至りました。

ブログ發足當初より御星様の数も増え、記事を讀んでくださる方も多くなりました。

フォローやコメントを賜る事、大変に嬉しく思っております。

本當に感謝に堪えません。

今後とも何卆よろしくお願い致します。

6月の記録・梅雨時の愉しみ

氣附けば6月も終わりを迎えんとしております。

心配されていた台風もなんとか無事に過ぎ去り街は雨上がりの静かな空氣で包まれております。

 

丁度梅雨時であり、雨の日が多くジメジメとした「あまり好まれない日々」が續いております。

洗濯物が乾かない、カビが氣になる等の弊害がありますが、そこは愉しみ方次第で良き日々を送る事が出來るのではなかろうかと思っております。

而してこの6月の梅雨空を自分なりに愉しんだ日々の事を記録して參りたいと存じます。

雨の日だから外へ出てみる

まず、わざわざ雨の日を狙って散歩をしてみる事に致しました。

傍から見れば何を考えているのか不可解な點があるかと存じますが、こんな日はいつもと違った風景に出會えるものです。

雨の日の公園

いつも出歩く近所の公園に來てみました。雨なので誰も居ません。

静まり返った園内に木々に滴る雨音を聞いてみるのも面白いものです。

傘に落ちる雫の音もまた太鼓の樂しげなリズムの如くあり、暫し佇み雨の音を樂しむ、即ち「音樂」を鑑賞してみるのも宜しきものです。

誰も居ない公園をゆっくりと散策しては通行人を氣にせずお寫眞を撮る事が出來ます。

雨に映える紫陽花

紫陽花の花は雨の日に見るとまたその色合いの美しさが映えるものだと思っております。

近所の道端に目をやればこのミリキ的な花の面白さを見る事が出來ます。

雨の匂いを満喫

雨の日は獨特の空氣とその香りを愉しむ事が出來ます。

こうした土と緑のある場所に來てみるとその風味も愈々増す様に思えます。

 

聞くところによると、この雨の匂いを感じる事が出來るのは世界的に見ても特異な事であり日本人の類稀な能力の1つであるかの様であります。

 

それは自然を身近に感じそれを尊重してこそのものだと考えておりますので、いつまでも大切にしたいものです。

またこうした風情に浸れるを思うにつけ、つくづく日本人でよかったと思うところに私の幸せはあります。

紫陽花鑑賞

先程の寫眞にて紫陽花を愉しみましたが、この時期は街中の色々な所でその美しさに出會う事が出來ます。

勿論その名所に行けば更に素晴らしい光景が在る訳でありますが、日常にその美しさを愉しむ事が出來るのもまたこの時期の樂しみではなかろうかと存じます。

道行く途中で

一寸所用を濟ませて來た何でも無い通り道でも少々立ち止まり、その花の面白さを鑑賞してみるのも良いでしょう。

何でも無い日常でこうした面白さに氣附ける事が日々を樂しく暮らす秘訣かと存じます。

雨の日の薄暗さもまた良きものなり

花はよく晴れた明るい日にその色合いを鮮やかにするところでありますが、梅雨空のどんよりとした日にこそ紫陽花は映えるものではないでしょうか。

花の奥の葉に影が出來る頃合いに浮き出て見える花の美しさであります。

曇天に辺りがぼやける日でも意外と面白いものが澤山あるものです。

一寸目を向ければそこに在る可憐さ

普通にこうしたものが在るを誠喜ばしき事と考えればその周りにあらゆる美しさ面白さがあるものかと存じます。

これを活かさない手はございますまい。

色合いの違いも面白く

紫陽花は赤みがかったものから青いもの紫色等様々な色合いがあります。

その違いを観察してみるのも一つの愉しみです。

兎に角、街中の一寸した場所に色々に咲いているので少々注意深く目を向けてみればそこには忘れかけていたこの時期ならではの美しさがある事でしょう。

梅雨の晴れ間に

6月の晴天

雨が續くかと思えば夏の日差しもそろそろ顔を出し始めます。

そんな梅雨の中休みは貴重な1日であるのは言う迄もありません。

こうした日にはその晴天を大いに愉しみましょう。

初夏から本格的な夏へ、公園の木々はすっかり茂ってその木陰もまた心地良いものです。

雨上がれば

特に雨の上がった後の晴れ間は空氣も澄んで恰も山奥の森林にでも來たかの様に思えます。

都會に居乍らにしてこの空氣を味わえるのは或いは貴重な瞬間かもしれません。

葉に残った雨露も陽に照らされてまるで寶石の様な輝きを放っています。

紫陽花も

勿論、紫陽花も晴れた日には違った表情を魅せます。その對比、所謂一つのコントラストも美しく、無論良きものである事は言に及びません。

紫陽花以外も

また、公園の花壇には新しいお花が植えられており、一寸通りがかりに1枚撮っておきました。

どれだけの人がこの花を愉しまれるか解りませんが、こうして良きものが當たり前の様に在るのです。

何でも無い所、万歳!

一寸歩くだけでこれだけのものがあるのです。

梅雨時は何かと鬱々とした雰囲氣になりがちですが、少し顔を上げてみれば美しいものが幾らでもあります。

手間も金も掛からず氣輕にそれらを愉しみ心の滋養と出來ればこんな得な事はありません。

 

然るに、これだけのものを見逃してしまう事の何と勿軆無い事かと思うところであります。

即ち私には「スマホを見乍ら歩く」などと云う技術も余裕も持ち合わせていないのであります。

私は「スマートフォン」は必要な時にだけ使うものであります故、その狭い画面に閉じ込められる事が出來ないのであります。

某ホラーゲームにて洋館の中を徘徊する活性死者(ゾンビ)の如く恰も周囲に意識を持たぬ様に歩行する事など以ての外なのであります。

如何に樂しい「コンテンツ」を無尽蔵に放射されたとしても、後でも出來る事に変わりは無い以上、今そこにしか無い實在の美しさを知ればその小さな画面に意思を奪われる事も無いものと信じて疑いません。

後で出來る樂しみよりも今そこに在る愉しみを

おうちでも愉しむ梅雨時

さて雨の日は家の中で過ごすひと時にもその時節特有の樂しさがあるものでございます。

家の窓から

窓を開ければ雨模様。そんな眺めを見てみるのもまた一興です。

これは自室の洗濯機が置いてあるお部屋の窓ですが、そこを開けてこの静かな緑に包まれた景色が見えるところがこのお部屋のチャームポイント。私が今のお部屋を借りる極め手になった櫻の木です。

梅雨時の晩酌

そんな6月或る日の晩酌。

わざわざ窓を開けての一杯です。

流石に吹き附ける様な荒天時は出來ませんが、シトシトと静かに降る梅雨時の雨は格好の酒肴となりましょう。

窓から聞こえる雨音と共に乾杯。雨の日にしか出來ない愉しみです。

窓際のソファーと小テーブル

この通り窓は全開です。

窓際には年代物のソファーにキャメラの三脚を改造して造った小テーブルがあります。

丁度旅館の和室に有る広縁をイメージしております。

暫しここに座って雨模様を見乍ら過ごすひと時もまた格別です。

お菓子に珈琲タイム、讀書、一寸一服…。愉しみ方は無限大です。

上質な時間

勿論こうしたひと時も。

1日の終わりに雨音を愉しみ乍らグラスを傾けるのもお洒落なものです。

大事に少しずつ呑むウヰスキーも奮發して賈った一寸上等なチョコレートもこの特別な時間を演出する好アイテムです。

 

斯くの如く雨の日を愉しみ、今月最後の週を迎えたのでありました。

静かな街の中で

はや聯休も明けぬれば月曜日の1週間の始まりは新鮮な一方、どことなく軆の重きを感じる今日この頃でありますが、休日を満喫したリフレッシュしたてで本調子ではないのだと自分に言い聞かせて徐々に変速機を上げていかんとするのであります。

 

私は所謂「マニュアル式」です。

ギヤもローから始めます。下手な2速發進はエンストの元です。

自動的にギヤを変えるなんて「ノークラ」の様な器用な眞似は出來ません。

時にクラッチを踏み、動力を遮断してはあくまでも自分のペースでギアチェンジをしておりますれば「發動機」も多少の無理が利きます(その分、消耗も激しいですが…)

 

 

さて、聯休明けに事務所に來てみればデスクの上に早速山積みになった書類をば整理。

ふと窓の外を見れば、ついこの前愉しんだ新緑の景色が見えます。

木々の色は休みの日と同じですが、その見え方は時と場合に依って全然違うものであります。

そこに慌ただしく動く人の群れ。

嗚呼懐かしき聯休中の静かな街並みや。

 

そこで今少し聯休中の静まり返った街を思い出してみましょう。

心休まる聯休の過ごし方

この休みは友人と日帰りで東北地方某所へお出掛けをした以外はいつもの通り静まり返った地元でのんびりと過ごしておりました。

混雑する行樂地を尻目にのびのびと過ごすこのひと時は或いは贅澤ではなかろうかと存じます。

新緑の時期

一寸外に目を向ければ美しい新緑の青々とした木々が涼しげな風を運んできております。

よく晴れた温かな一日。

こんな日は近所を一寸廻ってみるのも良いものです。

普段は何かと騒がしくある場所も、この日は嘘の様に静かです。

恰も別の場所の様にさえ感じる「一寸そこまで」は行樂地では味わえない安らぎを感じる事が出來ます。

お散歩寫眞

街路樹

普段はすぐに通り抜けてしまう道の街路樹も見上げてみるとまた美しいものです。

櫻の時期はとうに過ぎ、花も散りぬる木にはこの時期ならではの美しさがあります。

若葉生い茂るこの眺めもまた見事なものです。

日本の四季の素晴らしさはこう云うところに確かにあるのであります。

誰も居ない近所の公園

散歩を愉しんでおります。

近所の公園に來てみれば誰も居ないその空間を静かな風が木々のさえずりをもたらし小鳥が時折綺麗な歌声を聞かせてくれるのであります。

空の蒼、木々の青

自分の住まいからほんの数分の所にこんなにも緑が在ったのかと、改めて考えると一寸した小旅行の様でもあります。

誰も居ない公園と云うのは中々良きものです。

静かに自分の足並みで心行くまで静かな自然の雰囲氣を愉しむ事が出來ます。

ベンチで一休み

その木陰は涼しげにして暫し憩いのひと時。

一寸腰掛けて辺りの空氣を感じるだけでも良きリフレッシュになります。

大きく深呼吸をすればここが都會の住宅地のど眞ん中である事を忘れる位であります。

手間もかからず元手も要らず

「ゴマを擂る」が如く手輕に愉しめる休日のひと時。

疲れず、出費も無く、静かでのんびり出來るのはこうしたものならではです。

 

ちなみにこの公園は以前、雪が降った際にも同じ様に散歩を愉しんだ同じ場所だったのです。

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こうだった場所が…

こうなっているのです

前に寫眞に撮った場所と同じ場所を違う時期に訪れてみるのも面白いものです。

その2つを比較してみると日常に見え隠れする風流に浸る事も出來るでしょう。

こうだった場所が

こうなっているのです

四季の面白さ、風情、そして時の流れの不思議をしみじみと感じる事が出來るのは日本人の特権の様にも思えます。斯くも我が國には素晴らしきものが身近にあるのです。

思い出の場所にも

子供の頃によく遊んだ近所の公園。

今ゆっくりとその場所を訪れてみると懐かしさの中に新鮮な氣持ちがあふれてきます。

あの頃と少しも変わらぬ場所もあれば新しくなっていたり嘗ての面影が無くなってしまった場所も。

しかし、あの頃の思い出は確かに存在しているのであります。

この大きな木もその一つ。

子供の頃、否、そのずっと前から在るであろうその木は今年も見事な葉を茂らせ諸人の憩いの場を恰も見守っているかの様であります。

この木は古くからの大切な友人の様にさえ思える私は、この何でも無い散歩のほんのひと時でさえ良き思い出として過ごす事が出來るのです。

この幸せを大切にする事が所謂「精神衛生的な健康の秘訣」と言えるのではなかろうかと思うのであります。

ふと視點を変えれば

普段は氣にも留めないあまりにも多くのもがとても面白く、美しく、そして価値のあるものである事に氣附かされた一日。惡くないものです。

おまけにこれが全部タダ、ほんの少しの時間で出來るのであります。

これは誠に良くしたものです。

歳時記も忘れずに…

柏餅に淹れたてのお茶

「子供の日」です。「端午の節句」です。

正月にお節を、七草にお粥を、節分に豆を、桃の節句に雛あられを、お彼岸に牡丹餅を愉しんだ私は今年も例によってきちんと柏餅を戴いております。

近所の餅屋さんで賈って來た柏餅はスーパーマーケットでパック詰めしている物よりも上等である事は素人舌の私でも解ります。

抹茶色がチャームポイントなおニューの急須で淹れたお茶も誠旨し旨し。

ちまきもついでに

この日の晩酌のお相手はちまきです。これもまた季節の愉しみ。

菖蒲湯

そして菖蒲湯。お風呂の繪も緑あふれる森のものに替えてあります。

季節に應じて風情を愉しむのにこの繪はとても役に立っております。

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折角のお風呂、その所謂「リラクゼーション効果」を高めるにはこうした工夫も有用です。

〽窓を開けましょ♪ルルンル…♪

櫻の時期に愉しんだお風呂の窓からの眺めもこの通り。

今はこの新緑を愉しみ乍ら初夏の風と共に入るお風呂が1日の樂しみでもあります。

お風呂上りは懐かしい一杯

子供の頃によく飲んでいた飲料。今でもある所にはあるのです。

こうした懐かしい思い出もまた日々を樂しむ一助となっております。

身近なところから樂しむひと時の大切さ

斯様な身近になんと素晴らしきものの在るかを覺えておかば「五月病」と呼ばれる症状に對する一つの免疫なるべしと云ったところでしょうか。

さて、明日も頑張りましょう。

私はこれから窓際に置いたソファーに腰掛けて寝しなの一杯を愉しむ事と致しましょう。

乾杯!今日の終わりに…

 

暮らしの中の櫻

今年も櫻が散り、俄かに葉櫻の氣配がして參りました。

少々遅きに逸した様ですが、今年も例の如く櫻を愉しんで參りました。

 

毎年いつも似た様な事をしては似た様な心地に至っているのでありますが、日常の中にこうした櫻の美しさ、ひいては日本の美が身近に存在する事の如何に幸せな事かと思うのであります。

花見の出來る日常

毎年この時期にしか見られない櫻の美しさでありますが、幸福な事に我が國ではそれが當たり前の様に日常の景色に存在しております。

無論それは特別なものでありますが、我々からしてみれば普遍的なものでもあるのです。

然るにその美しさを愉しむ事、そしてその風情を味わう事は特別なものが普遍的に在る稀有なる我が國の幸せとも言えるのではなかろうかと存じます。

 

余程特殊な場所でない限り櫻は見られます。

ほんの少し家の外に出ただけでその美しさに触れる事が出來るのは、或いは世界の羨望を以って然るべきではないでしょうか。

日常的にその美を鑑賞し心豊かに過ごす事が出來るのは我が民族の特権とすら思えてなりません。

 

 

そこでこの春の何でもない日常に當たり前の様に存在していた櫻の美しさを振り返ってみようかと存じます。

或る休日の朝

毎年の様にバルコニーに出てはそこから見える櫻の木を眺めつゝ食事などを愉しんでおります。

尚、これも今年で10回目の節目。感慨深いものであります。

 

椅子とテーブルをバルコニーに出すだけの簡單なお仕事。

それでこの様な愉しみを得られるところが實に良いのです。

この日は近所のパン屋さんで賈って來た品物を戴いているところです。

自分で淹れた珈琲などを飲み乍ら眺める櫻は春うららかな樂しい休日の始まりに相應しきものです。

おやつの時間

午后のひと時。

お茶を淹れて羊羹などを戴いております。やはり櫻に日本茶、そして和菓子なのです。

晴れた春の陽氣に微かな花の香り。

何よりも「静かである」と云う事、とりわけ「外人が居ない」と云う事がどれだけ素晴らしい事かよく解ります。

ヒヨドリのさえずりを聴き乍ら枝から枝へ櫻の花をついばんでいる小鳥を観察しての一服は至高の瞬間です。

時折子供達が樂しそうな声で櫻の花を愉しんでおられますが、長閑な良い日和です。

「花の雪だー!」と言って喜んでいた或る子供の表現は感性に響く實に素晴らしい文言でした。

散歩中のイヌ君ですら上を見上げる程の美しさ。道行く人の何と樂し氣な事、櫻の周りは見ているだけでも幸せな氣分になれます。

 

バルコニーでのひと時に役立つのがこの小テーブル。

キャメラの三脚を改造して造った自作のテーブルはこの日も大活躍。

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↑一昨年の夏に造った物です。

 

一寸一服

櫻を眺め乍らの一服。

愛用の電子煙管は今日も快調です。

晩酌

夕暮れ時。

お風呂を入って良い氣分になったら晩酌の時間です。

夕闇に照らし出される櫻もまた美しく、この風情を日本酒と共に戴けるのは良きものです。

天婦羅に奴、刺身にお浸し。肴を用意して自分だけの時間に乾杯。

自分だけの夜櫻見物

夜も夜でこうして一杯。特別な時の為に取って置いたオールドパーの12年物です。

静かな夜の静かなひと時。チョコレートを肴に街灯に照らされる夜櫻を愉しむ、このバルコニーはまさしく「プライベートエリア」であります。

ふと見れば、そこに日本の美

〽まーどを開けましょ♪ルルンル…♪

これば便所の窓からの眺めですが、そこに満開の櫻があります。

この眺めの用足しのひと時はまさに値千金の絶景なり。シスタンクの上に作った「鹿威し」の上にも造花の櫻をば。

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多寡が便所、されど便所。

日常の一寸したひと時でさえ日本の美はそこに在り續けます。

便所は綺麗に…

くだらないものを全力で作る事も時には大事かと…。

窓際のソファーより

おやつの時間もこうして窓際で戴くとまた贅澤なひと時を愉しめます。

なによりも「お金や時間を掛けなくても毎日の様に出來る」と云うトコロが實に良いのです。

 

こうしてバルコニーから櫻の花を観ていると、つくづくこの物件を選んで良かったと思うのであります。

「櫻が見える」と云うのは今や賃貸物件の一つのセールスポイントかもしれません。

風呂に窓有り

これはお風呂の窓からの眺めですが、櫻を観乍らお風呂に入るのは日本人として至福のひと時。「お風呂に窓有り」は良いものです。

〽日本人だな♪櫻だなぁ~♪

熱海後楽園ホテルの歌(一寸古いかな…)を唄い乍ら温泉の素を入れた湯に浸かっていると窓からはこの通り櫻の花びらが…。風流と熱い湯に浸るは心身共に健康の秘訣なり。

お風呂の繪も、これでバッチリ!

元はカレンダーの繪のフィルムですが、こうして壁に貼るだけで豪華なフインキを演出出來ます。

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↑持っててよかったフィルムの繪

 

防水のウォークマンを装備して『さくらさくら』をはじめとした筝曲を聴き乍らの入浴は格別です。

本當のお花見へ

近所の公園へ

これは地元の友達と夜櫻見物を愉しんだ時の寫眞です。

一寸出掛ければこうして少々の宴を愉しむ事が出來るのが嬉しところ。

他にも幾らかの方々が同じ様に花見を愉しんでおられましたが、ここでは馬鹿の様な騒ぎをする者は一人もおらず静かに平和な時間が過ぎていきます。

この平和な場所は外敵から守っていかなくてはなりません。

大切な事は小規模にて静かに愉しむ事

「周りの迷惑にならない事」と云うのが何よりも大切です。

静かに慎ましく愉しむのがカッコイイのです。

それが出來ない者は「惡者」です。

見上げればそこに春爛漫

誰も何も言わなくとも、みんながその素晴らしさを知っています。

無用に騒ぐ者など一人も居ません。それが良いのです。

特別な時間はあまりにも當たり前の如く

「静かに慎ましく決まりを守って」と云う事を大切に遵守するだけで、いとも簡單にこの特別なひと時を過ごせます。

周りの人もそれをよく御存知です。だからこそ、この平和なひと時の素晴らしさを享受出來るのです。

自宅から歩いて数分の所に特別な場所は當たり前の如く存在しておりました。

散歩

近所にお出掛け

愛車に跨り、近所に出掛ければこの通り。まさしく「櫻の國」です。

日常的にこうした美しさに触れる事が出來るのですから、これを活かさない手は無いのです。

特別な手間も費用も無く、當たり前の様に愉しめる花の美しさは我々にあまりにも多くの恩恵をもたらしてくれます。

満開

一寸出掛けるだけでもの凄く手輕にこの美しさに触れる事が出來るのです。何と素晴らしい事ではありませんか。

何でもない公園ですら

満開の櫻の下、色々な方がその美しさを愛でております。

大切な事は「憚りを持つ」と云う事に尽きます。

誰一人として身勝手な事をしないからこそ櫻の花も美しいのだと思います。

「周りの迷惑にならない事」と云うのは實に素晴らしい事なのです。それが出來るからこそ平和なのであり、ゆっくりと櫻を愉しむ事も出來るのです。

そして感謝へ

氏神様の櫻の木

こう見えても信心深い方で、お朔日には神社へ詣でております。

そこには斯くも見事な櫻の木があります。

恰も神様が私達にくださった御利益の様にさえ思えます。

富士塚へ

「櫻に富士」は日本人の心のふるさとです。

然るに私もお參りに行きます。

この櫻の美しさが「自分達の富」ではなく「神様からの贈り物」だと思う事にしております。身勝手にも「自分の富」にしてしまうにはあまりにも大きすぎるからなのです。

大切な賜り物なのですから大切にしなくてはなりません。自分の勝手にして良い物ではないのです。

つまりは敬意と畏怖を

そう考えると櫻が毎年美しく咲いてくれる事自軆が尊い事なのであり、それに對して敬う氣持ちを忘れてはならないのだと思います。

即ち、この自然の摂理こそ神様の一つの顕れではなかろうかと思うところであります。

だからこそ敬いそして畏れ、大切にしなければならないのだと思います。

八百万の神は確かに存在する

この美しさの中にも神様は宿っておられるのかもしれません。

決して蔑ろにしないからこそ美しさは確かに感じられます。

それは單に櫻の花の物理的な視覺に由るものではなく、我々の心理によって感じ取るものだと思うのであります。

單なる「色合い等の綺麗さ」は誰でも解る事ですが、その奥にあるものを感じ取れるか否かが大切なのかもしれません。

心迄をもして美しく

先程來再三再四に亘って申している通り、櫻の花の色を愛でて心身共に健康たる事が第一なのだと思います。

單なる鑑賞に留まらない、心に良き作用があるものに触れ合う事が櫻の花、つまりはその「風流」を愉しむ事の肝要かと存じます。

ここが諸外國にとっては困難な事である様ですが、幸いな事に我が國では比較的容易にそれを可能ならしめるのであります。

この類稀な精神を大切に育んでいかねばならないのであります。或いはそれこそが神様からの授かりものかもしれません。

 

心のに斯くの如く良き作用が働けば先の「迷惑にならない様にする事」も自然と適う事かと存じます。こうして平和が成り立つのかもしれません。

日本の風情に感謝を

今年も櫻の美しさに触れ、心が豊かになった様である事に感謝を致します。

この花の色が個性的乍らも他から浮き出た自己主張の強い所謂「ビビッドカラー」ではなく日本のあらゆるものに溶け込んで周りに同調する様な色合いだからこそ愉しめる美しさなのではないでしょうか。

「和を以て貴しと為す」と云う日本の精神は今も尚生き續けているのであります。

大切に守って行かなくてはならないものであり、神様にこの平和の續く事を祈願致している次第であります。

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氣附けば櫻の花は終わりを告げようとしております。

しかしこれからは新緑の時期。その美しさが今から樂しみです。

日本の四季の豊かな風情。日本人なら大切にしたいのであります。

ふと見れば新しい季節の足音…。

 

ラヂヲを愉しむ

去年末より密かな愉しみとしてラヂヲを聴いております。

イマドキはテレビも随分と惡意に満ちた存在になっており全く以って番組を視聴していなかったどころか遂には唯一音声映像を受信可能なテレビも故障してしまったので、ここ最近は全くテレビと云うモノを観ておりませんでした。

 

尚、私の部屋には地上デジタル放送を受信出來ないテレビが残されておりますが専らビデオやゲーム用に使っております。

この「何も映らないテレビ」でNエッチKの集金員を困らせた事があるのが一寸だけ良い思い出です。

 

 

そんな訳なのですがラヂヲに關してはまだ幾らか好意的に捉えております。

番組を聴く事は勿論ですが所謂「作業用BGM」の用途として重寶致している次第であり、家事等の際に特に留意して聴いている訳ではないのですが、不思議とその機械から流れてくる音声は効率を捗らせる作用がある様です。

ラヂヲの有る日常

我が愛用のラヂヲ

小さくて持ち運びが便利な種類を賈いました。單三電池2本で随分長持ちします。

そして何よりAM波を受信出來るタイプを選びました。

 

聞くところによるとAM放送はそう遠くない内に全廃するとの話も出ており、AM受信可能なラヂヲは今後少なくなる見通しとの噂も出ております。

しかし災害時等の緊急時には臨時にAM放送が復活するとの説もあり、どうせ持つなら兩方を聴く事が出來る物をと思いました。

吊るして使うと一寸お洒落な氣分に

ヒモが附いておりますので、この様に吊るして使う事も出來ます。

丁度『魔女の宅急便』のキキが箒の柄にぶら提げていた感じです。

私の部屋は場所によってはアンテナを伸ばしても電波が届きにくく、窓際か高所に持って行く等をしないと上手く聴けない場合があります。

お部屋に設置した物干し竿に旨い具合に吊るせるので良い具合です。

「音声だけ」の不思議な効能

言う迄も無くラヂヲは音声を受信する装置なので映像は出て來ません。

しかし映像が無い分その音声による情報は密度が大きく、今どんな事が起きているのかを克明に表現するその文言は聴いていても面白いものです。

それは想像力を或る程度刺激するものであり、音声による情報から内容を自分の力で構築して理解していくと云う點に於いてはなかなかに面白いものがあります。

 

加えて映像が無いので言葉の話し手の輕妙な表現を愉しむ事も出來ます。

常に言葉や音が全ての世界なので或る種の獨特な言に由るところでありますが、映像と共に發するテレビの表現とは違う面白さがあり、謂わば映像と云う「余計なもの」が無いからこその愉しみかもしれません。

 

無論番組によっては内容の低俗且つ稚拙なものも少なくありませんが、総じてみてテレビよりも余程言葉の表現は面白味のあるものだと考えております。

 

 

その「音声」を樂しむ、即ち或る種の「音樂」の様にさえ思えるのであります。

これはいさゝか極端な例かもしれませんが、雑用をしている時に特に「株式市況」や「道路交通情報センターからのお知らせ」「天氣豫報」等を聞き流していると存外心地良いものなのです。

 

特にその内容を把握するつもりではなくとも、その音声が不思議と「音樂」の様な心地になるのであります。

また「ニュース」や「スポーツ中継」等もテレビの様な低級なコメンテーターや画像のコンテンツ等が存在せず淡々とその内容を解り易く傳えていく辺り、所謂言葉のテンポも輕快で飽きが來ません。

 

これはやはり「映像が無い」と云う事の一つの効能の様であると思えるのであります。

お氣に入りを探す面白さ

私のもう一つのラヂヲの樂しみは「ダイヤルを廻す事」であります。

ラヂヲは周波数を合わせる動作が必要になりますが、時折思いもしない番組や音声に出くわす事があります。

勿論番組表等を確認すれば自ずと解る事でありますが、恰も周波数の密林を探檢するかの如く適當にダイヤルを捻ると面白いものです。

そしてその雑音交じりの音も今日ではなかなか味わえない「懐かしさ」の様でもあります。

今はあらゆるものが謂わば「クリア」になりましたが少し前の室内アンテナが必要だった頃のテレビの様でもあります。

時折ザラつく音で聴くのもまた一興であります。

或る休日のひと時

洗濯物を干し終えて窓際のソファーに腰掛けて一寸遅い朝食を摂る一場面。

キャメラの三脚を改造して造った折り畳み式のサイドテーブルにはアンテナを伸ばしたラヂヲ。

流れてくるのは音樂番組であります。

曲の紹介や視聴者のお便り等の讀み上げも間に入るので普段はあまり興味の無い種類の音樂もこうして聴いてみると面白いものです。テレビではなかなか味わえない樂しさであります。

 

余談ですが、つい最近ラヂヲにて加山雄三さんの唄うテクノサウンドの存在を知ってしまい、俄かにコレにハマってしまいました。

今でこそ見直されるラヂヲ

先に述べた通りテレビが「どうしようもないもの」になってしまったと思っており、また動画サイトも玉石混交にて或いは我々の精神を退行させんとするもので満ち溢れております。

 

無論ラヂヲに於いても我々は常に注意しておかなければ容易く特定の意思に扇動される危險性を認識せねばならないのでありますが、こう云う時代であるからこそ「余計なものの無い」ラヂヲを見直してみてはと思うのであります。

 

殊に音声だけと云うのは聴き手も内容理解に注力するものであり、また聞き流すだけでも良きものは澤山あります。

テレビや動画サイトの様に画面を見る必要が無いので廣く愉しむ事が出來ます。

 

 

 

物事を最小限の刺激で傳えんとする事は多大な「コンテンツ」による派手な演出よりも勝っている部分が大いにあるものだと思います。

 

例えば落語や活字の本等、情景描寫を受け手に委ねるものの如くあります。

或いは昔のテレビゲームの様に映像による表現こそ今のものより数段も劣るとしてもその奥に拡がる素敵な物語の空想の世界はその比ではありません。

 

ラヂヲもそうした可能性があるものであり、テレビの出現によってその規模を大巾に縮小したとはいえ、今の時代でこそ日々の愉しみになり得るものを秘めているのかもしれません。

夕暮れ時の一杯に聴く相撲中継

夕暮れ時のラヂヲの音は子供の時に近所の家の窓から聞こえてきた様なあの懐かしい雰囲氣があります。

こうしていると眞っ赤な夕日が廣い空いっぱいにあったあの頃の日々が不思議と思い出されます。

最近は…

寝る前に枕元に置いたラヂヲを少々聴いた後、朝起きる時に日本人なら誰もが知っている「ラヂオ軆操」を聴いております。

子供の頃の夏休みの思い出もありますが、今でも『ラジオ体操の歌』を歌えて第二軆操迄完璧に出來るところが一寸だけ嬉しく思えるお年頃であります。

その前後に入る「道路交通情報」や「天氣豫報」も昔と変わらず、毎日が樂しかった子供時代の朝一の少し良い氣分を演出している様であります。

 

また、最近では野球の國際大會の中継もラヂヲで聴いております。

これ迄全戰全勝の日本の快進撃!實に良きものです。

刻一刻と繰り廣げられる様子を淡々と傳えているラヂヲ中継は却って熱中出來るものであり、日曜日に放送する競馬中継の如く白熱した氣分を存分に味わう事が出來ます。

晩酌と野球中継

昔の呑み屋ではよくあった情景です。

お部屋に日の丸を掲げて米本土に渡った侍ジャパンの健闘を心よりお祈り致しております。

今日と云う日に盃を

今日2月22日は私にとって思い出深い1日であります。

それは高校受驗の最後、即ち都立高校の入試日だったからです。

 

思えば中學時代、人生初の受驗となったこの日を終えた事の如何に感慨深かった事か。

今でもよく憶えております。試驗終了のチャイムと共に不思議な氣持ちがこみ上げてきたものでした。

 

幸い志望校には合格したのですが、何もかもみな懐かしい…。

その後、卆業迄友達と遊びに遊んだ事と合わせて良き思い出です。

 

春の訪れも間近にて暖かく、よく晴れた日が続いておりました。

折角酒を呑むのだから…

3連休中日となりにける今日この頃ですが、地元の古くからの呑み屋さんは元氣に暖簾を出しております。

而してこの日を記念して一杯やっていく事と致しました。

熱燗2合とお刺身

折角お金を出して酒を呑みに行くのですから、それなりの理由が欲しいところです。

「高校受驗の日」と致しますれば思い出も俄かに良き酒の相手となりますが、折しも今日は2月22日。

最近、近所の猫君が大の犬派の私に對して微笑む様に目を細めて見つめてくれる事を嬉しく思っております。

並んだ数字が3つ!

かの「寅さん」でお馴染みの啖呵賣では3は縁起が惡いとされておりますが、今日2月22日は同じ数字が3つ並ぶ1年で最後の日。

即ち、後に續くは3月から9月迄ゾロ目は2つ。10月と12月は各々2つずつ。

あとは11月に1が4つ並ぶ日が有りますが、それで御仕舞いです。

 

早くも「今年最後の日」を迎えてしまいましたが、こうしたものに目を向けてみると過行く1日もまた感慨深いものです。

それこそ、あの中學3年の頃の丁度今日の様に。

hitoria-juvey-ucchiyi.hatenablog.com

同じ様な事は以前から度々やっております。

日々を愉しむ今日と云う日の出來事でありました。

外吹く風は暖かく、やわらかな日差しと共に春の匂いがします。この空氣を感じて味わう事が出來るのはとても幸福な事です。

 

 

そして今日は我が國に於いて大切な竹島の日。

邦土堅固、國運隆盛、鎮護國家を祈念して日本酒を戴き、厳として一日を終えようと思います。

 

今日と云う日を過ごした事に感謝を込めて。

 

 

 

<記事全文888文字>

雪の日の景色

今日は珍しく積雪のある本格的な雪の日となりました。

朝起きて窓を開ければ

朝一に見た銀世界。こんな日は滅多にありません。

然して俄然やる氣になった私は今日この雪の一日を愉しんでみんとするのでありました。

雪の日の散歩

日曜日のこんな天氣ですが仕事があるのです。

しかし職場迄の道すがら町の雪景色を暫し見物。

普段と違う様子を愉しんでおりました。

近所の公園

まず近所の公園に立ち寄ってみればこの雪景色。

一寸した雪見散歩となりました。

墨繪の様な世界

日常の周りの風景を愉しむと、こう云う日は尚一層樂しくなるものです。

寒いからと足早に通り過ぎるのではなく、じっくりと白銀の景色を眺めておりました。

雪山登山氣分

緑地の植栽も雪を被り、よく観察してみると面白いものです。

こうした「樂しみ」を見つける事が充實した日々を送る秘訣かもしれません。

自然の藝術

黒い木々に眞白な雪。これぞその時々の季節の樂しみ。

四季のある美しい自然を味わう事が出來るのは我が民族の大きな財産であります。

誰も居ない公園

地面には眞っ白な雪が敷き詰められ、降ったばかりの柔らかな雪はあくまでも美しく、特別な瞬間を魅せているかの様であります。

小料理屋の店先

恰も雪國を旅行で訪れたかの様であります。

歩いて行ける近所の通りも今日は普段と違うまるで異郷の地の様であります。

橋の上

車は通らず、傷一つ無い雪の上を歩いて足跡が附いてしまうのが惜しい位です。

ザックザックと小氣味の良い音が靴の底から聞こえてきます。

今日と云う雪の日のあらゆるものを無駄に出來ません。

線路

電車の本数が極端少なくなった今日の線路は静寂に包まれております。この複々線がまるで車輛を載せていない鐡道模型の線路の様です。

雪はゆらゆらと空から降って來ては遠くに見える建物を悉くその空に呑み込み霧消しているのであります。

今そこに在るものを愉しむ

毎度の事でありますが、こうした目に入る様々な物、身を置いた周囲のあらゆるものを愉しむと日常の何でも無いひと時も面白くなるものであります。

近所をただ歩くだけでこれだけの樂しさに溢れているのです。

勿論雪の日だからと云うのもありますが、こんな素敵な景色を愉しむ事さえしない人も居るものであり勿軆無いものです。

 

「視界に入る」→「ただ見る」→「よく観察する」→「堪能する」と云った具合に少し立ち止まって眺めてみると或いは面白さに氣が附くかもしれません。

そうしたものを日頃から探してみる習慣を附けておくと色々と便利なものです。

斯くの如く日常には面白きもので溢れているのです。

この日の出來事を大切に

今日は滅多に降らない雪を愉しんだと云う出來事がありました。

この瞬間を過ごせた事が有難く、そして大切にしておくと心の滋養になるものです。

そうした滋養は、いさゝかでも心にゆとりをもたらして今日のストレス社會に於いては非常に貴重なものとなります。

〽雪の降る町を

思い出だけが通り過ぎて行くのです。

この風情、風流を特別な手間も無く日常的に愉しめたら何でも無い場所からも心の躍動が得られるものでしょう。

しかもこれが手輕に全部タダで出來るのですから、これを見逃す手はありません。

ゆっくりと出來る限り、そして自分なりの樂しきひと時を過ごしてみましょう。

しんしんと…

小雪の舞う目の前の雪景色、静寂のひと時、肌を刺す様な寒さでさえ、今日はどれもがとても樂しく感じられました。

これの出來た事に深く感謝すると共にこの幸福感を忘れない様によく味わっておくのです。

私にとってはこの幸福感、即ち多幸感が日々を過ごす原動力を生み出す謂わば「燃料」となるのです。

仕事終わりの一服

午后になり、今日は早上がり。

家に戻り熱い珈琲などを入れておやつを戴きます。

窓を全開

この寒い日に窓を全開にしております。

なんとも奇行の様でありますが雪を眺め乍らのお茶の時間は、これまた珍しい出來事であり、しっかりとその風流に浸かっております。

愛用の湯たんぽ

足元には昔乍らのトタンの湯たんぽ。数年前に近所の金物屋さんで賈って來た物ですが、なかなか年季が入ってきました。これもまた風流。

我が愛刀の切れ味の冴え

これまた数年前に靖國神社で賈って來た日本刀の歌詞楊枝。

スーパーマーケットで安賣りしていた出來損ないのカステラを食するのもまた樂しきひと時なり。

樂しき日常は樂しむ心から

折しも今日は選挙の日。

一服したら投票所へ出掛けます。

雪だるま

その道すがら公園の前を通ってみれば誰かが作った立派な雪だるまがありました。

きっと樂しいひと時があったであろう事はこの誇らしげに佇む雪だるまを見ればすぐに解ります。

寒くとも温かさに包まれる様な心持ちであります。

帰って來たらお風呂

すっかり軆が冷えてしまったので熱いお風呂に入りましょう。

お風呂の壁に貼り附けてあるフィルムは富士山から雪景色のものに替えてあります。

湯張りをし、白い濁り湯の入浴剤を入れて窓を全開にして入ります。

外吹く冷たい風がユニットバス内に入り込むと恰も北國の温泉の如くその冷たい空氣に湯けむりは立ち込め、自宅のお風呂に居乍らにして不思議な旅情を演出するものでございます。

今日のお風呂上りはコレ

この飲料は私が3歳の時に初めて銭湯に行った時に飲んだ物としてよく憶えており、今も時々賈ってはあの頃の懐かしい思い出と共にお風呂上がりの大切な樂しみとなっております。

温泉旅館の如く

そのお風呂上がりに「ピクニック」を飲んではこれを踏んでおります。

伊豆の温泉を旅行した際に土産で賈って來た昔乍らのこの「足つぼマッサージ」は良きお風呂上りの大切な逸品です。

温泉旅行に來た様な氣分でリラックスであります。

 

 

斯くの如く、何かをするにしても常に出來る限りの樂しさを見附けて味わう事を意識していると自然と物事を愉しめる様になってくるのだと思います。

そしてそれの積み重ねがひいては幸せなひと時を作り出し、それが充實した日常へつながっていくのだと思います。

 

この雪の日に當たり前の様にしてしかし忘れられがちな大切なものを改めてその白銀の世界に見た様な一日でありました。

幸せの金言

仕事のある日曜日。

しかし、こうつぶやいて終える一日の如何に大切な事か。

それが理想であります。

hitoria-juvey-ucchiyi.hatenablog.com

5年前も同じ様な事をしていました。

「まるで成長していない…」と言われつゝも閃きは大事にしたいと思います。

樂しい事を見附けたら…