前回、お部屋の照明を換えた際に動画サイトで観ていた昔の珈琲のコマーシャルですが、これは實に私が20数年來探し続けていたものだったのです。
これは私が子供の頃に、かの「日曜洋画劇場」でやっていた『スーパーマン3』の番組が終わった直後に放映していたものなのです。
當時、私は幼稚園生でした。
この映画の入っているスーパーマンのビデオテープをよく観ていたのですが、このコマーシャルは御幼少の頃の私の記憶に不思議な位に鮮明に残っていたのであります。
今となっては僅かな記憶の断片に過ぎませんが、先日になって偶然にもこの動画をインターネットで見附けた際に「これだったのか…!」と暫しの呆然とした沈黙の内にその内容を鑑賞しておりました。
子供の頃の不思議な記憶
私は親しい友人からは「ハードディスク」と異名を持つ位に昔の記憶が鮮明なのです。
反面、最近の記憶に關しては實に曖昧で、ついさっき起きた出來事を忘れる位にいい加減なのですが、みんなが忘れた過去の出來事を未だに憶えているものでございまして、同窓會のブラックボックスとまで言われております。
そんな私にほんの僅かに残った記憶のうちの一つがこのコマーシャルでした。
もう随分前にそのビデオテープは壊れて失われてしまったのでありますが、どうにかしてもう一度観たいと思い續けておりました。
而してこのコマーシャルを幼稚園の時に数度観た限りなのに今になって出だしの音樂を聴いた瞬間にあの頃の記憶が所謂「フラッシュバック」をするのであります。
ほんの僅かな記憶の筈なのに、それが不思議と心の奥底で光り續けている様に思えてなりません。
これは誠に以って不思議なものでございまして、實に30年以上の時が流れている筈なのに、最後に観たのがつい昨日の様な錯覺に陥るのであります。
このコマーシャルと動画サイト内で再開した時は今までの幾十年間がいっぺんに吹き飛んだ、そんな感じさえ致します。
コマーシャルの内容
しかし乍ら、これが何のコマーシャルであったか迄は憶えていないのであります。
ただ、異國の何か不思議な景色を見て廻っていた事だけを記憶しており、それが番組なのかコマーシャルなのかは全く解っていなかったのであります。
今になって全てを観終えてこれが「ネッスルのコマーシャル」であった事を知った次第なのであります。
しかし、小さかった私にとってこれはまるで自分の未だ知らない世界中を駆け巡る不思議な軆驗だったのです。
その内容と云いますと次の通りです。
まず、遠大な雰囲氣の音樂と共にエチオピアの高山の様子が映し出されます。
珈琲はこのエチオピア・カッファ地方で生まれ、初めてその豆をローストしたのは山火事だったと云う傳説を傳えます。
その後、珈琲はアラブ世界に傳わり、1554年のコンスタンティノープル(トルコのイスタンブール)に世界で初めてコーヒーハウスが開かれたと言います。
それからヴェニスの商人を通じて珈琲はヨーロッパへ。
心を開く、そんな香りの中でルネサンスは花開きます。
そして17世紀、オランダ商人の手で珈琲は遂に世界の海を渡ります。
やって來ました日本でございます。
時は元禄。日本の珈琲元年。
初めてその味を愉しんだのは長崎奉行か或いは蘭學者だろうか…。
目まぐるしく世界中を駆け巡り、それは恰も珈琲の旅を自分も一緒に辿っている様でございます。
そしてコマーシャルはこう締めくゝります。
人から人へ、私達の熱い珈琲は遥かな土地から、遥かな時代からやって來た…。
…と。
2分程あるこの動画は紛れもなくネスカフェのコマーシャルなのです。
今でも動画サイトで「ネスカフェ 珈琲物語」と檢索すれば出てくるかと存じますが、現在の感覺では一つの番組の様にすら思えます。
こんな壮大なコマーシャルは現在では到底作る事が出來ないでしょう。
最早今日、低俗で低レベルなくだらない雑音と化しているコマーシャル。
昔は斯くも偉大だったのだと改めて思うのであります。
そしてその時代を僅か乍らに生きる事が出來た事はとても幸せな事だと思うのです。
嗚呼、社會は斯くも貧しくなりにけり。知性と知的好奇心は余りにも弱々しく、そして後に残るのは碌でもないものばかり。そしてその作り手もまた然り…。
1杯の珈琲に浪漫を求めて
この世界中を旅行した氣分にさせてくれるコマーシャル。
私は子供の頃に観たあの記憶をどうしても忘れる事が出來なかったのです。
そして今日、私はそのコマーシャルに流れていた一字一句、一場面それぞれを深くかみしめ、自室でお氣に入りの「カフェタイム」を愉しむのでありました。
先日、山形縣某所で賈ってきた漆器のカフェトレーはその雰囲氣を大いに盛り上げるのです。
生來の旅好きである私の心に、この珈琲のコマーシャルは強く響き渡ります。
お部屋にベニヤ板と物干し竿で作ったカウンターにはお一人様の樂しい空間が拡がるのです。
角砂糖にブランデーを注いで火を点けるアレです。
数年前、これがやりたいが為に合羽橋で1本百数十圓のカフェロワイヤル用のスプーンを賈ってきたものでした。
しかし、その投資がこうした日々の何物にも代え難い愉しみに化けるのです。
嗚呼、遥かな時間と空間を旅する不思議な飲み物。
珈琲は今日も美味しいのであります。