今日で仕事納めでありまして今年も愈々暮れていくのであります。
年末の静かな夜に夜廻りの拍子木の音が先程から響き渡っています。
外は突き刺す様な寒さでありますが、不思議とこの空氣は心地良いものであります。
暫しバルコニーに出て夜風に當たっていると、子供の頃は町内會の夜廻りに參加して神社で焚き火に當たり乍ら友達とお汁粉等を食べて樂しんだ事を思い出します。
この拍子木の音は聴いているだけで時の織り成す不思議な感じを覺えます。
嗚呼、懐かしきかなあの頃…。今年も暮れていくのだな……と。
そんなひと時を過ごしている今日この頃ですが、今年も遂に暮れていくのであります。
暮れを五感で愉しむ
先日來大掃除を濟ませており、あとは明日におせちの材料を賈うだけとなりましたが、この瞬間は特に何かせずとも「暮れていくのだなぁ」と思って過ごしている事を愉しむべきかと存じます。
つい最近迄、師走の慌ただしさに忙殺されておりましたが、考え様によってはこれも1年の行事の様なもの。
そう考えると年越しなど全然實感が湧かなかったところでありますが、この雰囲氣がにわかに今年が終わり新しい年がやってくるのだと云う感覺をもたらしてきます。
それは或る種の風流の如く愉しむものだと思うのです。
そんなひと時をこうしておでんと赤提灯で以って愉しんでおりました。
仕事納めの樂しいひと時です。
この赤提灯の下で呑む熱燗は格別です。
この一手間が酒を旨く致します。
おでんは近所のおでん屋さんで賈ってくるものです。
コンビニの安おでんなどには見向きも致しません。
やはり餅は餅屋。おでんはおでん屋さんなのです。
合羽橋で(ついうっかり)賈ってしまったこの赤提灯は家で呑む際に非常に重寶致します。
昔、驛前に在った焼き鳥屋の屋台で狭い椅子に腰掛けて一杯やった想い出が蘇ってきます。
これからの時代、家で呑むにも雰囲氣が大事なのであります。
こうして今日この頃を樂しんでいると、何だかんだで1年が過ぎ、その時間も夢幻の如くあっと言う間の「アッと驚く為五郎」であります。
しかし思い返せば今年も色々な事があったのだと様々な出來事が脳裏を過ります。
それが不思議と懐かしくもあり、充實したひと時でもあります。
やはり今年も樂しかった。
そう思って今年最後にして丁度130回目の記事とさせて戴きます。
パック餅ではなく、ちゃんとした手作りの餅を賈っております。蜜柑も勿論本物です。
今年も良いのが手に入りました。餅の見張り番の蟹さんも威勢の良いポーズを取っています。
こうしていると、やはり年末年始なのだな…と感じます。
この感覺が大事なのです。
五感で以って年の瀬を感じるとなんだか氣持ちが温かく、そしてどことなく氣分も高揚して參ります。
それは或いは風流を愉しむが如く、そして藝術を愛でるが如くであります。
ベートーヴェンの第九などを聴くところでありますが、何故か「月光」おば…。
嗚呼、隠し部屋の扉が開いてしまう……。
巻癖を直す時に端っこが少しヨレてしまったのを氣にしてはいけない。
見て、聴いて、味わって、感じる。
今年も残り少なくなっていく今と云う瞬間を、どうせなら愉しみたいものです。
折角大掃除で綺麗にした便所なので、色紙もフリーザ様を描いたものから「べん子ちゃん」に変えておきます。
日々の暮らしの小さな変化は意外にも心にメリハリをもたらしてくれます。
1年間の感謝を込めて…
斯くは幸せな時間を過ごさせて戴きましたが、當ブログをご覧になってくださる方がいらっしゃる事、星をくださり或いはコメントを賜る事も、私はとても嬉しくそしてありがたく思っている次第であります。
どうぞ皆様、良いお年をお迎えくだされゝばと思います。
本年も1年間お世話になり、誠にありがとうございました。
來年も何卆よろしくお願い申し上げます。
130回目にして今年最後の記事にて失礼致します…。