今日、12月18日と云う日は個人的に忘れ難き1日として記憶しております。
それは今から20数年前、私が小學校の5年生の時です。
その年のこの日「年末のプレゼント」に或るゲームソフトを親に賈ってもらいました。
そのゲームソフトとは、かのスーパーファミコンは『RPGツクール2』と云う物です。
これは實家の押入れに眠っていた件のソフトとそれに對應した周辺機器ですが、このヨレヨレになった箱の草臥れ具合からも過ぎ去った年月を思わずにはいられません。
そしてこの「RPGツクール」なるものは今も尚續いている趣味のキッカケにもなったのであります。
當時は何もかもが冒險だった
今はインターネットが發達しており、解らない事や調べたい事を機械に入力するだけで簡單に答を求められる様になりました。
人間は考える必要も無く、機械のボダンを押したり画面を擦るだけです。
それで機械が答えを用意してくれるのです。
これを便利と呼ぶか否かは置いておいて、誰でも氣輕にものを知る事が出來る時代になりました。
勿論、私もその恩恵を日常生活に於いて多々受けております。
しかし、このゲームソフトを賈ってもらった當時は當然そんなものはありませんでした。
解らない事は自分で考えて調べるしかありませんでした。
しかしそこには自分の求める回答を得るにはどうしたら良いかを考える必要があり、また關聯する知識も備えていなければそれを得る事も難しかった時代です。
時にはそれでも判明しない事も多く、その場合は「出たとこ勝負」と云う事にもよくなりました。
殊に私の御幼少の時期のゲームソフトなんかは半ば博打の様なもので、限られた情報、特に友達の評判やパッケージの繪と僅かなゲーム画面の情報だけを頼りに新しいソフトを賈っていたものでした。
勿論、そこで所謂「クソゲー」を掴まされてしまった方は日本中至る処にいらっしゃいます。
知識を得る冒險
さてそこで今はどうかと考えてみますに、そうした事故は零とは言い難くも大巾に減った事と存じます。
人間は事前に機械が出す答えに従っていれば良いのです。
少々の判断を要する場面はあるにしろ、お膳立ては機械任せです。
無論それに否定的になる事はありませんが、世の中のよろづ物事には「限度がある」と云う事を忘れてはならないのだと思います。
時には「知る」と云う課題に對して實行不可能な指令の如く、自らの頭脳と軆力の限りを尽くしてこれを行う「プロフェッショナル達の秘密機關の物語」の様に冒險してみるのも面白いのではなかろうかと存じます。
ゲェームの世界の様に
先ずは知りたい事があり、それを解決する事が目的となります。
RPGの世界でも同じです。目的と課題があります。
では、それを遂行するにはどうすれば良いか。
村や町の人の話を聞く。
何らかのアイテム等で解決する。
主人公達を強化していく。
…等、お馴染みの方法が幾らでもあります。
しかし、ゲームが始まっていきなり物語の核心が語られて主人公がすぐに強くなったかと思えば最後のボスの簡單な倒し方を得て、いきなり最後のボスが出てきたら…。
それは須らくクソゲーではなかろうかと存じます。
ゲームの樂しさはその過程を愉しむものだからです。
オープニングからエンディング迄の間に起きる様々な事を愉しむのがゲームの味わいではないでしょうか。
知識を得る事も或いはその過程を樂しんでみると思わぬ「經驗價」や「レアアイテム」を得たり、或いは隠し要素を發見出來るかもしれないと言うところであります。
そうして主人公、即ち自分がより強化されるのであればこれは旨いものではなかろうかと存じます。
これを時間の無駄と思うか否かは人それぞれですが、少なくとも無駄の中にも樂しい事は色々あります。
いざ冒險の旅へ…!
勿論、日常生活ではゲームの様に無尽蔵に時間が有る訳ではありません。
何事も課題を解決するにも全てが「時限イベント」です。
限られた時間内で課題を解決し、尚且つ自分にとって一番収穫を得るには少々工夫しなければなりません。
まずは機械に尋ねてみるのも一つの手ですが、そこでこの一言…。
一つの結果を得るにしても、それは色々に答えが有る事と存じます。
この「皆の者」が多ければ多い程、自分の力が試されます。
謂わばボス戰や重要イベントに當たった時の様なもので、安易な回答だけで突き進めば泣きを見る事にもなりかねません。
強力なボスキャラも難解な謎解きも「通行人の情報」や「装備品の拡充」等の周到な準備の下に解決を見るのです。
而して自身の求める回答と出會えたとして、次に待ち受けるのはこの一言…。
情報は參考にするもの、意見は聞くだけのもの、決断は自分でするもの、答えはそこで出すものと昔聞いた事があります。
そして、その過程でこう思うのです。
如何にこれを探求出來るかが謂わば主人公の技量、即ち「レベル」に相當するものでしょう。
今やあらゆる人々が好き勝手な事を平氣で言う時代なので、この技術が求められているのかもしれません。
そしてそこでは單なる回答だけでなく、それに附随する知識を得る機會が随所に見られる事でしょう。
その得た知識が謂わば主人公の持つ「スキル」乃至便利な「アイテム」ではないでしょうか。
そして、それを得る手段の多さが頼りになる「パーティキャラクター」に該当するかと存じます。
斯くして自身の入手し得るあらゆるものを使って最後に課題を制するのです。
レベルが上がった!〇〇が増えた!〇〇を覚えた!
單に回答を得るだけでは僅かな經驗價しか得られなくとも、そこへ一工夫を致してみると、こう云う文言に出會えるかもしれません。
レベルが上がってこそ愉しめる巾も拡がる事と存じます。
今日と云う日は私が人生で初めて「RPGツクール」と云うものに触れた日であります。
その時に夢中になって遊び、ソフトの操作方法のみならずゲーム作りの基礎やその面白さのノウハウ、果ては表現の仕方や世界観に關する知識迄…。
「ツクール」は思い出と共に色々なものを私にくれました。
今や、それが日常生活の何かの約に立てているであろう事を願ってやみません。
20数年前の今日と云う日に感謝です。