9月になりました。
まだまだ暑い日々が續くのでありますが8月が過ぎてしまうと、なんとなく夏が終わってしまった様な少々寂しい氣持ちになるものでございます。
段々と蝉の声も元氣だったアブラゼミやミンミンゼミが少なくなり、ツクツクボウシが寂しげに鳴いております。
そして夜になれば秋の虫の声が日増しに大きくなって參りました。
まさしく今、夏の終わりを告げようとしているのであります。
そこで今夏に愉しんだ事を振り返る事に致したいと思うのであります。
夏の日々が毎日を樂しくする
私は豫てからその季節の風情を愉しんで、いつ如何なる時でも一人の時間を充足させてきたのでありますが、それは今夏も同様であります。
その季節の織り成す色々な時間はその時でしか味わえないものでございます。
これをふいにしてしまう手はございません。
同じ事をしようとしても過ぎて仕舞えばあと1年待たなくてはなりません。
一人の時間とは或いはこうした限られた愉しみを誰の干渉も無く大いに満喫出來る貴重な機會でもあるのです。
何をどう愉しむかは各人の自由であります。
上手く思い附かなくても「夏だから出來る事」をイメージしてみると良いのです。
そしてそれを自分なりに忠實に再現してみる事を實際にやってみる事が大切です。
少々のお金や小道具が必要な場合も多々有りますが、決して悲観する程面倒なものでもないのです。
ほんの少し手間をかけるだけでも得られる心地良さは充分です。
何も氣負いせずに自分のやりたい様に自由にやってみると「今、夏だ!」と感じる時が有ります。
その時の氣持ちを大切にしていくのです。
季節が移り変わり、ふと思い返した時にそれらは驚くほど輝きを放つ事でございましょう。
「食」から愉しむ夏
何も夏に限らず春夏秋冬いつでもこうした事は愉しめます。
そしていつでもそれらは貴重であり續けるのです。
然して今回は「食」と云う観点から季節の愉しみを見ていきたいと思います。
夏のよく晴れた日に西瓜をベランダで食べるだけです。
たったのこれだけで「夏だ!」と思えるのが日本人の素晴らしいところであります。
軒先の風鈴、そして蚊遣り器のブタ君もその雰囲氣を大いに盛り上げてくれます。
あとは周りの蝉や日差しが勝手に愉しくしてくれるのでとても樂です。
コレも夏の風物詩でございます。
私は酢醤油にからしと決まっているのですが、ところ変われば愉しみ方も違ってくるのが面白いのです。
焼きとうもろこしに醤油を垂らすと夏の香りがすると思っているのは私だけではない氣が致します。
今夏は傳染病の影響も有り、どこもかしこも樂しみが限られてきたのは事實でございます。
しかし、だからと言って逸したものを数えてつまらないと考えるよりは、残された出來る事を愉しんだ方が勝ちでございます。
夏祭りも縁日も旅行も無い夏でありましたが、家の中は別であります。
規模こそ違えど、普段出來ない事である事に変わりはありません。
大いに愉しもうではありませんか!
あと少し、もう少しだけ愉しむ機會が残っている
夏の盛りは過ぎ去ろうとしておりますが、夏を愉しむにはもう少しだけ時間が残されております。
私はもう少しだけ最後迄夏を愉しみ續けるとともに、來るべき秋の樂しみに心躍らせているのであります。
「今を愉しむ事」は一人を愉しむ上でとても大切です。
なぜならば「今しか出來ない事」でもあるからです。
今と云う時間が未來に樂しいものになるか否かは今次第なのであります。
一人でも充實した時間が送れる事がどれほどの倖せかわかりません。
何かに疲れたら、日々の中に流れる季節の愉しみを思い出してみると宜しいかもしれません。
まだまだ暑さ厳しき日々は續きます。
どうぞご自愛くださいませ。
あなあなかしこ。