松茸!!
うん。秋の味覺だからな。
松…茸……!!
安かったから賈ってきたんだ。
たまにはこう云う贅沢も惡くないだろう。
マ…ツ…タ…ケ……!!
あ、あのねぇ……?
マツタケっ……!!
…………。
秋の味覺を愉しみましょう!
味覺の秋とも申しますが、美味しい食べ物が揃う時期でもあり、この時にしか食べられない物も多くございます。
今年は秋刀魚の価格が高騰しており、私の様な庶民の小さな樂しみが遠く離れてしまった様であります。
そこで、遂に思い切って松茸を食べてしまうのです!
………正確には加奈陀産の「松茸の親戚」なのですが、大事な事は「私は今、滅多に食べられない物を食べているのであります!」…と云う心構えです。
これが出來ていると些細な事でもより多くの倖せを感じる事が出來るものであります。
今日は台風も接近している雨降りでありまして、賈い物に出られている方も少ないのです。
こう云う時にスーパーマーケットでは色々な物が安く賣っているものでございます。
特に生鮮食品はその傾向が著しく、こう云う時を狙って賈い物を濟ませるのがお金を残す秘訣でもあります。
多少出掛けるのが難儀でも、そこに意義がある限り私はその困難に立ち向かうのであります!
…さて、そんな事で件の松茸を安く入手したのでありますが、折角の秋ですので一年にそう何度も無い經驗をしたいものであります。
故に私は、この松茸を大いに愉しんで戴く事に致しました。
松茸を戴く!!
松茸の他に少々の肴と今が旬の葡萄を食卓に並べます。
秋刀魚は缶詰で勘弁です…。
愛用の「囲炉裏」で食すのが何とも贅沢なひと時であります。
私は焼き松茸が一番のお氣に入りであります。
部屋に広がるあの松茸の香り…。
自然と鼻も「くんかくんか」とその香ばしさを心ゆく迄愉しみます。
キンキンに冷えた日本酒で秋の味覺を戴く……。
私は暫し夢見心地でありました。
贅沢は時として密かに、そして反芻するが如く
いやはや、なんともはや贅沢なひと時でありました。
この贅沢と云うものでございますが、何もお金をかけて高価な物を愉しんだからではありません。
本當の贅沢とはどんな事であれ心が豊かになるものだと考えております。
今回賈った松茸も日常の私の食費から鑑みると、とても高価な品物であったのですが、かと言って全く手が出ない程の物ではありません。
賈うつもりならば何度でも賈う事が出來ます。
しかし、それは贅沢とは言わないのであります。
そう何度もしない事が贅沢であり、その一瞬に全てを賭けて享樂に臨む事が私の贅沢であります。
それは恰も一度の出來事を何度も繰り返し味わう「反芻」の如くにて刹那に過ぎゆく倖せな時間を何度も何度も思い返しつつ愉しむのであります。
松茸なぞは食べて仕舞えばそれまでであります。
量も少なく食べ終わるのにそう時間もかかりません。
しかし、その内で歯応え、味、香り、その場の雰囲氣、その全てを忘れない様によく心に刻み込むのであります。何度もそれを思って食べるのであります。
少々面倒な様でありますが、一つの樂しみを多角的に且つその場で反復して愉しめる様になると、非日常がより輝いて見える様になります。
或いは非日常などと云うものは簡單に見つからないものほど愉しみ甲斐が有ると云うものであります。
一見して贅沢と言われる事には勿論、どんな小さな樂しみも實は隠された多倖感が埋没しているものであり、それを發掘せる或る種の浪漫がそこには有るのであります。
私にとっては「松茸を食べた事」は當然にして贅沢な事でありますが、何よりもそれを「愉しんだ」事が一番の贅沢だと思っております。
ただ松茸を食べていたのとは違うのであります。
單に金をかければ良いと云うものでも、派手や高価にすれば良いと云う事でもありません。
大切な事は金額の多寡ではなく、自分の心に安らぎが生じる工夫が出來るか否かに因るものだと考えております。
こうした自分なりの贅沢が出來る事が本當の豊かさだと、安賣りされていた松茸が教えてくれた様であります。
私にとって一人とはこの様にして愉しむのであります。
多倖感、それは情熱をもって
あぁ、美味しかった!!
それはよかった。
眞に食欲の秋だな。
うんっ!!
この感動を表現する為に…
とりあえず泣く!!
…………。