スポーツ、食欲に續いて行樂の秋でございます。
この季節は誠に清々しく、どこかへ出掛けたくなるものであります。
しかし、憎むべき昨今の傳染病のせいで外出を憚っております。
この秋は家の中で燻っているだなどと……
確かに出掛けられないのは事實でありますが、だからと言ってツマラナイ風にばかり考えていては却って精神衛生的に宜しくないのであります。
そこは考え様です。
こんな時こそ思い出の出番
こう見えても私は旅が好きで以前ならば氣儘な一人旅を満喫しておりました。
しかし先述の通り、今は控える時かと考えております。
そこで役に立つのが過去に旅に出た記憶でございます。
あの旅の空、私には確かに家を離れ、誰にも侵されない自由と異郷の地を歩く果てしなき好奇心、そして心に響く郷愁と旅情…。
そんな事が本當に有ったのだと。
今一度思い出し、その心躍る瞬間、そして肌で感じた空氣の匂い、樂しい思い出、貴重な經驗、美味しい食事、酒、そして温泉……色々なものを今この場で蘇らせて描いてみるのです。
すると、少々寂しい氣持ちになるかもしれませんが、心が満たされると思うのであります。
「出來なくて駄目だ」ではなく「出來た事が素晴らしい」と思い直せば昨今のつまらなき世の中をいさゝかでも面白おかしく渉っていけそうなのであります。
いつでも心が旅を出來る事
旅の目的とは單に「居場所を変えて遊ぶ」と云う事ではないのだと思います。
究極的には「心を豊かにし、安らぎを得る為」と解釈致しております。
つまり、旅情を噛みしめてこの目的が達せられゝば旅に出たも同然であります。
それには自分の心の中にいつでも樂しかった旅の思い出を鮮明且つ美しく蘇らせる事が肝要であります。
そうです。誰でも心はいつでも旅に出られるのであります。
そこで私は「記憶に残る旅」をいつも心掛け、その断片を何かしらの形で持ち帰る事にしているのであります。
氣分が塞ぐ時、氣持ちが滅入る時、旅に出たつもりでそれらを眺めていると、まるで過去に旅した色々な土地の皆様が力を與えてくれている様な面持ちになれるのであります。
何かを残す事
私は旅に出ると必ずその旅を記念する物を残しておく習性があるのです。
例えばこんな感じで旅先の土産物屋に賣っているミニ提燈なんかを集めております。
これは場所も取らずに手頃なのです。
(最近、賣っている店も少なくなりましたが…)
私は一つのこだわりとして「一度行った場所の提燈は1つだけ」集める事に致しております。
2度目に同じ場所を訪れても新しい提燈は賈わないのであります。
従って、最古の物は上段左端にある小學校5年生の時に移動教室で訪れた富士山なのであります。
こうして物が古くなるにつれて「ただ富士山に行った」だけではない何か素敵なものを見る事が出来るのであります。
また、数が多くなってくるとそれだけで樂しい氣分になれるのであります。
こんなに色々旅行に行ったのか…と。
色々な場所を訪れた際の半券等も面白い収集品であります。
この画像上の物はごく一部で、集めた物は専用のファイルに入れて保管しているのでありますが、場所も取らずお金もかからず便利な物であります。
こう云うタダで持って帰れる物は思い出を綴る上で重宝します。
何分にも貧乏性なものでございますので…。
旅先で訪れた場所で思い出深いお店でお世話になった物に関してはこの通り保存している次第でございます。
これも膨大な量がファイルに保管されておりますが、これは本當に手輕に出來る「旅日記」であります。
いつどこで何を賈ったのか一目で判るので、いちいち文章にする必要もありません。
私は個人的な趣味で鐡道を利用する機會が多いのですが、その列車の切符は大切な宝物であります。その一部ですが並べてみました。
中にはもう走っていない「思い出の中を走り續ける列車」もあります。
列車の窓辺に切符を置いて流れゆく異郷の地の車窓をしっかりと瞼に焼き附けているのであります。
ホテルや旅館、或いは寝台列車や特別車輛等に備え付けられている物は可能な限り(許可を取り違反にならない様に)持ち帰っております。
中には日常生活で使っている物もあり、色々便利なのであります。
使う度に樂しい思い出に触れられるので、いつもありがたく使わせて戴いております。
イライラよ、憂鬱よ、さようなら!
凡そ今のご時世は負の感情と隣り合わせで生きております。
旅に出たくなるのも、それらが要因の一つでもあります。
旅に準じた究極の氣分轉換…。
巧く出來る様になるとお部屋の中で一人で元手も要らず誰の負担にもならずに樂しめるのであります。
しかし、それは決して虚しい空想ではないのです。
心が豊かになる過程と考えますれば、いつの日にかまた何の干渉も無く旅に出られる日が來るのを樂しみに出來るのであります。
その高揚感こそ、今まさに好樂の秋に相応しい心の洗濯なのであります。