たまには早起きして記事を書いてみる事に致します。
昨晩は変な時間に就寝してしまったので、早朝に目が冴えてしまいました。
たまにはこう云う時間に起きてみるのも宜しいかもしれません。
昔から「早起きは3文の得」とか申しますれば現在の貨幣価値にして約75圓程利益を出したいところであります。
さて今の世の中では結果が全てであり、それのみを追求する傾向が方々で見受けられますが、成程「終わり良ければ全て良し」なのであります。
されど良い結果を出す為には當然それに至る過程が存在するのであり、何事もそれなりの過程がそれなりの結果を導く事が多いものであると思っております。
嘗て高校時代の部活の先輩がこう言いました。
「結果よりも過程が大事である」と。
結果ばかりに全てを傾倒するのは、いさゝか考えものであるのかもしれません。
愉しむものは過程である事
暮しを愉しむと、やりたい事に満ち溢れております。
その結果を得られる事はとても面白いのですが、その過程を愉しむとそれもなお一層引き立つのであります。
例えば晩酌に罐ビールを呑むとしましょう。
その結果を得るのは實に容易い。罐ビールを開封して適當なつまみを用意して呑めば良いのです。
これで結果は得られます。
しかし、それに至る迄の過程を今少し工夫してみるのです。
たったこれだけの手間でもやってみると樂しさは倍増であります。
そう云うフインキを大切にすると同じ「罐ビールを呑む」と云う結果もひとしおです。
ちなみにこのグラスですが閉店豫定の酒屋さんから頂戴した物です。
グラスが冷えるとロゴが浮き出てくる仕掛けが施されています。
「サッポロ黒ラベル」を呑む時はコレに決めております。
ジョッキ感覺で麥酒の泡も引き立ち、これが中々宜しいのです。
同じ様に日々の食事もただ「食べる」だけではなく、そこに至るものを工夫するとより一層樂しくなるものでございます。
この様に一寸小洒落てみると單に「カレーを食べる」と云う結果を得るにしてもより一層面白味が涌きます。
「珈琲を飲む」と云う結果だけであれば、その辺のコンビニか何かで罐コーヒーと適當なお菓子を賈ってくるなりすれば事足ります。
それでも尚、こうしてこだわって珈琲を自分で淹れてみると同じ結果でも全然違ってくるのであります。
旅先で賈ったポリ茶瓶で以って車窓の動画を観乍らお茶を飲んでみます。
傳染病の為に外出出來ないとしても、旅情と郷愁を味わう事は幾らでも出來るのです。
この様に何事も少し変わった事をしてみるのが一つの要領です。
結果だけを見ない事
結果だけを見ると結果論に陥り「どの様にして」と云う事が疎かになり易い事が往々にしてあるものでございますが、この「どの様にして」と云う過程に少々こだわってみると良いのかもしれません。
どうせ同じ結果を得るのなら面白くやりたいものです。
ゲーム等を思い浮かべてみると解り易いのですが、クリアする結果が當然あるにしてもそれに至る行程を樂しむものであります。
この結果だけがあっても全然面白くないのであります。
そこに至る過程を樂しめばこそ、こんなエンディングでも面白味があるのだと思います。(ゲーム自軆の出來不出來は別として…)
現實の生活も或いは同じなのかもしれません。
一見、手間がかかり無駄とも思える行動でありますが、これが出來るとお一人様も格別です。