今年も残すところあと僅かとなりました。
そんな今日この頃、スーパーマーケットで少々珍しい食品を購入しました。
オルゾと通称される「リゾーニ」と云う物らしいです。
何やらツブツブが澤山入っております。
安かったので賈って參りましたが、一軆これが何なのか全然知らない儘に購入したのでした。
まずは調べてみる事に
とりあえず賈った以上は何かしらに消費しなければなりません。
まずは裏面の「成分表」を拝見します。
すると「デュラム小麦のセモリナ」と云う割とよく見かける二つ名を目にします。
そこで思うのです。
「そうかそうか、つまり君はそんなやつなんだな」
…と。
早い話「スパゲッチの親戚」と云う事になりました。
どうやら茹でてその手のソースをかければ良いのだと…。
斯くして「どうやって食べたら良いか」と云う点は理解しました。
家に備蓄してあるミートソースやらカルボナーラやらのレトルトのスパゲッチソースを適當に使ってみるところですが、折角なので一般的にはどうなのだと調べてみる事に致しました。
今や家に居乍らにして色々な答えを閲覧出來る時代。
こう云う時に自分の知識を深めてみるのが正解だと思っております。
その結果、どうやら「キャセロール」とやらに入れてあったり、リゾットの米の代わりに使うとの事でした。
キャセロールとは何ぞや…。今度はそれを調べてみる内に一つのレシピを發見。
早い話、シチューやチリコンの様な物で肉や野菜を色々なスープで煮込んだ料理の事の様です。
そうかそうか、つまり君はそんなやつなんだな。
…と、云う訳で適當な材料を使ってシチューでも作る事に致します。
かいつまんで言うとこう云う物だ
世界の料理はとても廣範で見た事も聞いた事も無い様な物がいっぱいです。
それらを忠實に作るのもまた面白い事ですが、この年末の忙しい時期では鳥渡ばかり難しい様です。
そこで「これはこう云う物だ」と云うあらましを掴む事で献立の巾を拡げる事が出來るのではなかろうかと存じます。
そこで便利なのがこの表題の一文なのであります。
然してシチュー作りに取り掛かろうとするところでありますが、肝心なシチューのルーが無いのです。
仕方が無いので何か代用出來る物が無いか探してみるとこんな罐詰を發見。
こんな事もあろうかと、安賣りしていた時に賈っておいたまゝ使いどころが無く放置されていたホワイトソースです。
罐詰は長持ちするので使う當てが無くても安い時に賈っておくと便利です。
要するに、シチューを拵えるにはこれと牛乳を入れて適當に味附けして具を煮込めば良いのだと…。
普段は市販のルーに頼るシチューも「つまり君はそんなやつなんだな」と知ってしまえばどうとでもなるものです。
調理開始
まずは塩を入れた熱湯にリゾーニを入れて柔らかくします。
どうもスパゲッチの様に茹でて戻す物ではない様です。
戻す迄は時間があるので、その間にソースを作ります。
冷蔵庫にあった適當な野菜と肉を炒めてホワイトソースと牛乳で味附けします。
今回使った材料はニンジン、タマネギ、ブロコリー、シメジ、鳥の胸肉です。
それに加えて香り附けにローズマリーとローリエを使っております。
勿論、自分なりに味附けを樂しむのはいつもと同じです。
この調味料にはいつもお世話になっております。
柔らかくなったリゾーニの粒は結構大きくなります。
これなら嵩が増えて食べ応えも充分です。
シチュー單獨で食べるよりも何やらお得な感じがします。
出來たシチューをリゾーニにかければ完成です。
最後の仕上げに胡椒を一振りするのがこだわりです。
折角お洒落な一品なのでワインなんぞを出しておきます。
こう云う入れ物にワインを入れておくと何かと樂しいものです。
これはジョージアから輸入された「古代のワイン」を呑んだ時のやつですが、この空き容器を洗って取っておくとこう云う時に役に立ちます。
臆せず賈おう
實はこう云う鳥渡見慣れない食材を賈うのが好きな性分なのです。
まだ見ぬ異國の料理を作って食べてみるのはとても樂しいものです。
そこに至る迄に色々な事を調べてみると料理は勿論、知識の巾も拡がります。
こうしてお一人様を愉しむ事はまさしく知識とネタの寶庫でもあるのです。
しかし、時間の無い時は「こんなやつ」と云う要点の部分を掴んでおくと今後何かと役に立つものです。
何やら時間の限られる試験での長文讀解と似ている様な氣が致しますが、後日本格的に作ろうとした際もあらましをしっていると取っ附き易くなる事でしょう。
得軆の知れないからと敬遠するのではなく、まずは賈ってみる事です。
正軆を知ると案外「そうかそうか、つまり君はそんなやつなんだな」となるものです。
そこで既知の調理法で食べるも良し、未知なる部分を調べてみるも又一興です。
まずは見た事も無い物に出會ったら心掛ける様にします。
そうかそうか、つまり君はそんなやつなんだな
…と。
余談
この表題になっている一文は恐らく中學校の國語科でお馴染みの教材の様ですが、随分昔に習った單元が今もそのまま使われている様です。
かの有名なヘルマンヘッセ氏の『少年の日の思い出』と題されたその小説は時代を超えて色々な意味で親しまれている様です。
「あ、まだそれ學校でやってたんですね」と若い人との會話も弾みます。
嗚呼、偉大なるかな我等のエーミールさん…。