一人と雖も孤独に非ざれば、何ら惡し様に思案する事は無用にてございます。
一人を、もっと愉しく
一人と云う事は決して所謂「ぼっち」と呼ばれ、否定され蔑まれるべきではないのであります。
何者にも干渉されぬ自由意思、我が道を行く気高さを以って、自分の世界を探求或いはそこで見附けた享楽を存分に愉しむものなのであります。
是即ち、虚しさ・寂しさに因って秘匿さる「財宝」の如きものを求める或る種の浪漫なのであります!
そう、一人は浪漫。
即ち、心を豊かにする趣味、自分を大切にする自尊心、一人の人間としての強さを備える自立心、何者にも侵されぬ独自の世界観、そして自由…。
自分に向き合い、自らの責任に於いて自分の為の時間を過ごす事は少なくとも自らを貶める事ではございませぬ。
自分を律し、一人を愉しむ事の何と素敵な事ではございませぬか!
孤独ならぬ御一人様を目指して
一人を愉しめられゝば決して孤独ではございませぬ。
孤独とは往々にして疎外感から一人である事を否定し、負の気持ちから起こり得るものと言われております。
一人で居ると概ねこの様な気持ちに誰でも成り得るものでございます。
しかし、それは一人である事の「思い方」に因るものにして、心の持ち様に因っては如何程にも樂になるものと考察さるものにてございます。
さて冒頭のテーマですが「リアルな生活が充実している」と云う事は孤独でなければ、きっと叶える事が出來ると思っているのであります。
「一人」は、あくまでも「その場に一人で居る」のであり「誰とも触れ合わぬ『独り』になる」のではないのであります。
数の多寡、関係の種類は問題ではございませぬ。
一人で居ようとも、何でも良いので大なり小なり現実に人と触れ合う、それこそが一人のリア充。
即ち標榜する「ヒトリア充」でございます。
友達や恋人は素敵なものです。本當に素晴らしいものです。有るに越した事はないのでありますが、だからと云って無理をして拵える事はないのです。
差し當たって一人で居ても人と触れ合えればそれで良いのです。
偏にヒトリア充と云うのは世に言う「ソロ充」でもなければ「キョロ充」でもございませぬ。
基本的に一人である事を是認し、かつ他方で誰かとオカカワリになる。この相反する二点の中道を極めんとす「孤独ならぬ御一人様」と云う事になるのであります。
願わくば、何事も孤独ならぬ御一人様の素晴らしさを何らかの方法で傳えられん事を欲するものにして、取るに足らぬ當ブログの存するトコロでございます。
至極個人的見解の多きブログにてございますれば皆々様に於かれましては何卆、御參考として御高覧賜りますれば幸いに存じます。
これを以ちまして、當ブログを始めんとする次第でございます。
無礼の段、平に御容赦の程…、あなあなかしこ。