今週のお題「下書き供養」
かの有名な漫画の主題歌に「人は誰でも幸せ探す旅人の様なもの」と云う一節が有りますが、まさしくその通りだと思っております。
そこで考えるのは「幸せ」とは何かと云う事と、それがどこにあるのかと云う事です。
幸せの正体
幸せとは何か。それは人それぞれに違うのだと思いますが、私は至極個人的に幸せの正体とは「心の安らぎと躍動」だと思い込んでおります。
心が安らいでいる状態、そしてウキウキと踊り立つ様な状態。
これら一見相反する様に見える心理状態になることが幸せだと思っております。
従って、幸せを見附ける事とはそう云う心境になる事をするのだと思います。
よく世間一般に「幸せを與える」とか「幸せを届ける」とか云う表現がありますが、私は至極個人的に幸せとは人から與えられたり誰かからもたらされる物ではなく自分の心が勝手に思う一つの生理的な反応であり自發的且つ能動的に行われるものだと思っております。
勿論そうなるには他力に依るところが多々ありますが、結局のところ幸せを感じるのは自分自身であり誰かから「感じさせられるもの」とは違うのだと勝手に思い込んでおります。
そして幸せはそれを感じ取る事が出來なければ最早無意味のものであると思っております。
折角自分の心を癒してくれるものがあったとしても、どんなに人の羨む事があったとしても、それに氣附かなければ何の意味も無いのであります。
かの有名な歌の文句に「幸せは歩いて來ない だから歩いて行くんだね」と云うのがありますが、自分で能動的に感じ取らなければ意味が無いのであります。
それも幸せとは表立って解る物の方が少ないのだと思いますれば、日常の何でもないところに普遍的に轉がってゐるものだと思い込んでおります。
かの有名な子供の歌によると東西南北どこに住む人も幸せなのであります。
即ち、そう云うものに澤山氣附けたほうが幸せなのです。
日常是即ち探求の旅也
我々は社會生活を營んでゐるのでありますが、その中で自分の氣持ちは激しく浮き沈みを繰り返しているのだと思います。
當然の事乍ら、氣分の落ち込む事はこの世界に幾らでも在ります。
しかし、それならば氣分の快くなるものもまた数多存在しているのだと思います。
それを探してみましょう。
何も大袈裟な旅行に出かける必要もありません。また、何か御大層な目標を掲げる必要もありません。
日常の何でもない所に在るものを注意深く観察すれば宜しいのです。
その探求こそが「幸せを探す終わりなき旅」なのだと思っております。
その旅に出る事は自ずと自分の幸せを感じる事に繋がります。
然して何もないところから幸せが湧き出る様なものであり、きっと日々の暮らしに活力をもたらすものだと思っております。
小さな幸せを澤山に
大きな幸せはとてもよく目立ち誰でも視認可能であり且つその効力著しく甚だ即効性のあるものであります。
しかし乍ら、人生に於いてそれは数の少ないものでもあります。
全部が全部大きな幸せとなり得るには余程悟りを開いた方でなければその境地には達せられないと思います。
それのみを待っていては大きな幸せだけが目に入り、数多の小さな幸せを見失ってしまう事も割とよくある事なのだと思います。
この小さな幸せが日々の何でもない暮らしを彩るものであり、我がブログのテーマでもある「一人を愉しむ」事に於いて非常に重要な要素となるのであります。
これが見い出せて自分の手で得る事が出來れば、もうしめたものであります。
これは先日、散歩中にたまたま發見せるツクシンボでありますが、こう云う物を見附けては氣持ちの穏やかになるひと時、これぞ何でもないところに在る小さな幸せの典型であると考えております。
幸せを探す旅に出掛けよう
私は日々の食事も、たとえ店舗や自動販賣機で何かを賈う時ですら、小さな子供の如く澤山の品物を「何にしようか」とウキウキし乍ら選ぶタチなのです。
行為そのものを見れば至って普遍的であり、且つ面白味の顕れ難いものでありますが、何事も愉しんで行う事が小さな幸せを得る第一歩と考えております。
これは先月末に自室のバルコニーで例年の如く花見をした時に小洒落て熱燗なぞ拵えている之圖でありますが、かねてよりブログで述べるところに依りますれば、こう云う一寸した事を樂しもうとする事を億劫がらずに實践してみる事が肝要かと存じます。
樂しく氣持ちの安らかならん事、胸躍るワクワク感を得られる様に何でも(人様の迷惑にならぬ様に)實践してみる事であります。
小さな幸せを探求する旅とはこう云うものであり、日々これの實践せるは何と心地良き暮らしにやならんと思うところであります。
何も大袈裟な物や高額な費用などは要らないのであります。
自分の周りに斯くも小さな幸せの多き事と思う事、たとえそれの如何に小粒なりと雖もその力は甚大なりと知るべし。
面白くなき世を面白く すみなすものは心なりけり
…と有名な言葉がございますが、まさしくその言葉がこの「終わりなき旅」の極意である様でございます。