私は大の風呂好きでありまして、しばしば銭湯に行く事が有るのであります。
今年の夏の日も急に思い立っては自轉車に跨り、近所の風呂屋に行ったものでありました。
暑い日にかいた汗を風呂で流すのは、えも言われぬ爽快感があります。
氣儘なお一人様でございますものですから、仕事中やふと空を見上げたりお茶を飲んだ際に急に銭湯に行きたくなる事も有り、そうした際はお風呂の支度をして銭湯へフラフラ~っと行ってしまうのであります。
癒しを求めて
銭湯に行く一番の理由は、この副題に尽きると思います。
そこに在る風情、情緒、大きな風呂でゆっくりと過ごす事での所謂「リラクゼヰション」、そして銭湯でのお客や番台の人との少しの「コミュニケヰション」等々…。
それらは即ち心と体の癒しに他ならぬものであります。
この素晴らしい癒しが當り前の如くすぐ町内に在るのですから、こんな素敵な事はありませぬ。
そしてそれは日常の中の非日常の樂しさとして、御一人様の愉しみのひとつに成っているのであります。
雰囲氣を愉しむ
銭湯にはそこの持つ独特の雰囲氣が有るのは言う迄もありませぬ。
大切なのは、ただ大きな風呂に入りに行く事ではなく、その雰囲氣を存分に愉しむ事であると思うのであります。
それが所謂「スーパー銭湯」や「日帰り入浴施設」とは決定的に違うのであります。
各銭湯によって色々に違い、多種多様なものが存在するのでありますが、私は比較的古い様式の銭湯を非常に好んでおります。
木造の見事な造作、懐かしい雰囲氣の下足札、番台の人とのやり取り、脱衣所の体重計や洗い場の桶、風呂場に響く「こぉん」と云う桶や椅子を置く際の音、壁には富士山のペンキ絵、そして風呂上がりの至福の一杯…。
一般的に認知されているであろう風呂屋の特徴の一つ一つがとても素晴らしいのであります。
それは決して人為的に作られた、謂わば「人工の風情」ではなく、日常的にそこに存在するものだからこそ素晴らしいのであります。
違いを愉しむ
銭湯にはそれぞれに個性が有ります。
建物の造りや内装は言う迄も無く、壁のペンキ絵も一般的によく知られた富士山から森林や竹林の絵、タイルのモザイク画、或いは宇宙等、色々であります。
桶もかの有名な「ケロリン桶」から銭湯の屋号入り洗面器、更には昔ながらの木の湯桶を使う所も在り、これも面白いものです。
湯船も白湯から薬湯、超音波、ジェット、氣泡、電氣と様々であり、沸かす方法も重油、コークス、木材と色々で湯にも個性が有ります。
家の湯船では到底為し得ない大きな浴槽でのびのびと存分に湯を愉しみましょう。体は温まり、疲れが吹き飛びます!
その他にも庭が在ったり、鯉や金魚のいる池や水槽等、果ては大画面のテレビジョン等、面白い趣向や工夫が見られる所もあります。
私は「馴染みの銭湯」が幾つか有るのですが、様々な場所の銭湯を訪れると云う愉しみ方をしているのでありまして、こうした違いや各所での特徴を見るにつけて愉しんでいるのであります。
自分の流儀を愉しむ
銭湯に個性が有るのと同じ様に、風呂に入る人それぞれにも面白いこだわりがあるものであります。
例えば、風呂上がりの一杯。
色々に有るのですが私は断然「コーヒー牛乳派」であります。
他にも「普通の牛乳派」「フルーツ牛乳派(ガラス瓶は絶滅)」「ラムネ派」「スポーツドリンク派」「水派」「ビール派」と色々いらっしゃるのが面白いものです。
そんな中で自分のこだわリー…が有ると中々愉しめるものであります。
更には愛用のタオルや石鹸入れ等のお風呂セットを持つと單に「風呂に入る」だけではない樂しい氣分になるのであります。
これが最後の機会
残念な事に、昔ながらの銭湯は急速にその数を減らしています。
昨今、不況業種であり後継ぎも居ない状態ではその經營は困難であると思います。
今は一見すると華やかに見えるハイカラな入浴施設が巾を利かせており「あくまでも非日常を強調するだけ」の風情が廣がっております。
しかしこの町場の銭湯が持つ風情が味わえなくなる日が來るのは、もうそう遠くない氣がしてならないのであります。
これが最後の機会と思えてなりませぬ。
だからこそ、忘れない様によく見ておくのであります。
大好きだったあの銭湯も、今はもう思い出の世界でしかないのであります。
先程、お見せした私の銭湯のスタンプノートにはもう存在しない銭湯の判子が幾つも捺されております。
その一つ一つがとても貴重な時間だったのであります。
心が洗われて清々しい氣持ちで家路につきます。
思えば3歳だった頃に親父に連れられて行った銭湯が生涯初の銭湯でした。
それから小學生の頃は近所の友達と一緒に集團で銭湯に行く事も有り、高校の頃も風呂好きの親友と色々な銭湯を巡ったものでした。
私はつくづく日本人で良かった、風呂が好きでよかったと思うのであります。
何故ならば、こうして日常の中に非日常の美しさを見附けて一人であるこの瞬間を大いに愉しめるのですから。