改めて申す迄も無い事ですが、日本はおろか世界中を驚かせそして悲しませた出來事がつい最近起こりました。
無論、私もその内の一人です。
俄かに信じ難い事ですが、これも運命だと思っております。
人生は別れの聯續
尤も、いつかはこう云う日が來る事を誰もが知っていた筈です。
ただ、あまりにも突然であった為に戸惑いを隠せません。
悲しい事に変わりはありませんが、受け止めなければなりません。
これは誰にもどうする事も出來なかった事なのですから。
こうした「どうする事も出來ない事」は人生に於いて多々ございます。
否、寧ろそっちの方が多いのだと思います。
人の一生の間の出來事はどうにか出來る事の方が少ないと思っております。
別れもその一つ。
幾らそれを望まなくても必ず訪れるべきものです。どうにもなりません。
そしてそれは何回でも繰り返し自身の周りで訪れる事でしょう。
大切なものとの別れは當たり前の事なのです。當然の如く訪れます。
その度に辛く悲しい思いをするでしょう。だからこそ次の事を考えなくてはならないのだと思います。
在りし日の樂しかった事
大切なものを失った時の悲しみは筆舌に尽くし難いものです。
しかしその悲しみの裏にはそれが確かに存在した過去があり、その時々で樂しかった事が澤山ある事と存じます。
一時は悲しみに暮れても、その樂しかった時の事を大切にしたいと思っております。
大切なものが在り、こう云う良い事があったのだと忘れない様によく心の内に思っておくのです。
そして、それはもう二度とやって來ないかもしれませんが、過去の出來事は何らかの形で残りはするものだと思っております。
そうして如何に多くのものを残すかが失った悲しみを乗り越えていく時に自分の力になっていくのだと考えております。
さよならは突然に
お別れは何の前触れも無く突然起こるものだと思っております。
たとえそれがどれ程豫見出來ていたとしても最後には悔恨が残るでしょう。
そう云うものだと割り切っております。
「諸行無常」と云う言葉が實に相應しかろうと存じます。
ずっと昔から我々はこれを悟っていたのです。
色即是空 空即是色。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
我々はただそこに、ほんの一時たまたま居合わせただけなのかもしれません。
いつかはお別れする時が來るという事をいつも思い出せる様にすると人生とは、かけがえのないものでいっぱいなのかもしれません。
大切なものは
人それぞれに大切なものはある事と思います。
それは人であったり物であったり、或いは「思想」「趣味」「概念」「記憶」等、形の無いものも有るでしょう。
それらを失う時に大いに悲しむ事が出來る者が或いは幸多き者なのかもしれません。
失いたくないものがあれば當然それを大切にするでしょうし、そこから享受する「良き事」は増えるでしょう。
その「良き事」の多寡が一つの幸せの顕れではなかろうかと存じます。
大切なものが多ければ多い程、またその存在が大きければそれだけ多くの悲しみを經驗する事になるかもしれませんが、これも幸福の副産物かもしれません。
確かにそれが存在していた時は自分にとって幸せな事があった筈だからです。
もしも自分の周りの何かを失って少しも悲しむ事が出來ないとすればそれは幸せが無かったと云う事になるのかもしれません。
殊にイマドキは何か氣に入らない事があると簡單にすぐ「死ね」「殺す」と言う人が澤山居ります。小さな子供ですらそうなのです。
それは單に表現力や語彙が貧弱でそう云う單語しか出てこないのかもしれませんが、凡そそれが何を意味するかを今一度よく考えて、余力があれば國語のお勉強をする事を強くお勧め致します。
そして自分の周りにかけがえのないものがある事、更に自分自身が誰かのそれに該當する事が人として必要なのではなかろうかと存じます。
そう云うものを多く持ちたいものです。
最後にありがとうと
昔、子供だった頃に公園で大切なボールを失くしてしまい日が暮れる迄泣きながら探した思い出があります。
結局見つかりませんでしたが、それは数百圓を出せば新しい品物が手に入るのです。
しかし大事なものと云うのはそう云う問題ではないのです。
私もこれまで家族や知人を何人も亡くしておりますし、大事にしていた物は数えきれない位に失っています。
飼っていた虫や小鳥、犬なんかもそうです。
どんなものでも自分にとって大切なものを持つ、それも出來る限り持つと云うのが人生に於ける一つの目標の様に捉えております。
そしてそれらを持てる事、それらが在る事に感謝したいと思います。
時に13年前の今日と云う日は私の周りでも色々な事がありました。
自分にとって大切なものはあるか。それはどんなものか。よく考えて、よく思い出し乍ら日々を幸せに生きられたらと思います。
また、もしそれが見つからないとしても、ゆっくりと探して何か、どんなものであっても自分なりに手にする事が出來ればと思っております。
hitoria-juvey-ucchiyi.hatenablog.com
私は日々を一人で暮らしておりますが、それでもかけがえのないものがいっぱいなのです。そして私自身をそう思ってくれる人が居ます。
悲しみもそれだけ多くなるかと存じますが、それでも「これでいいのだ!」と思っております。